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441.フーコーの振り子   2019年6月11日

 地球が一日に1回自転していることは、今では誰もが知っている。1851年、この当時もすでに多くの人が、地球が自転しているらしいことは知っていた。しかしその証拠は得られていなかった。フランスの科学者フーコーは、パリのパンテオン寺院で、天井から伸びた長さ67mもの長さの針金に重さ28キロのおもりをつけた巨大な振り子を用意し、世界で初めて地球の自転を証明する実験を行った。振り子を振り続けたところ、振れの方向が徐々に時計回りにずれてきたのである。通常なら振り子の振れる方向を変える力は存在しない。実は振り子の振れ方向は同じままで、振り子を観察している自分たちがその地面ごと回転していたのである。振り子の向きがどれだけずれるかは、緯度によって異なる。赤道上でこの実験をしても振り子の方向はずれない。そして振り子を長時間振り続けるためには、ひもを長くとることとおもりを重くすることが必要だった。国立科学博物館や大阪市科学館などにもフーコーの振り子が設置されている。

 

440.秋田新幹線   2019年6月7日

 同じことを以前にも書いたかもしれませんが…。秋田新幹線は1997年に開業した。しかしこの呼び方は間違いである、なぜなら従来線を使っており「新幹線」ではないから。正式には「新幹線直通特急」という。

ルートの大半は以前の「田沢湖線」を使っている。従来線と新幹線ではレールの間隔が異なるのに、秋田新幹線「こまち」は東京から秋田までそのまま走る。どうやっているのだろうか?従来線のレール間隔は「狭軌」と呼ばれ1067mmである。「標準軌」の1435mmになったのは、1964年の東海道新幹線が最初である。回答は、秋田新幹線を通すために従来線のレール間隔を「標準軌」に改造してしまったのである。もちろん同じ線路を走る在来線の車両もそれに合わせて改造した。しかしさすがにトンネルや駅のホームまで改造することはできず、そのために秋田新幹線の車両は通常新幹線車両に比べて狭いままである。その幅は在来車両と同じ2946mm。なお一部区間では、狭軌の車両も通す必要があって、そこではレールを3本設置してそのうちの2本を使う方式になっている。

 

439.血液型   2019年6月4日

 血液中のタンパク質などの分子には、それぞれ互いに少しずつ構造が異なる複数のタイプがある。その違いが「血液型」である。赤血球の膜にある分子の違いによるものだけでも、ABO血液型、Rh血液型など250種以上の血液型があるという。輸血においては、ABO血液型とRh血液型がチェック確認される。臓器移植の場合はさらに、白血球にある分子の型であるHLA型の適合も重視される。かつてO型から他の型への輸血は可能と教えられたが、やはりこうした輸血は避けるべきとして現在では行われていない。A型の遺伝子型はAAかAOで日本人の約4割を占める。B型の遺伝子型はBBかBOで日本人の約2割を占める。AB型の遺伝子型はABで日本人の約1割を占める。O型の遺伝子型はOOで日本人の約3割を占める。どの民族でも最大多数派のA型が進化上の祖先型とされ、類人猿にもABOの血液型がある。血液型と性格のことが話題になるが、科学的根拠はないようだ。

438.「切り絵」「切り紙」「紙切り」   2019年6月1日

 書店に行くと、「切り絵」と書かれた本と「切り紙」と書かれた本とが並んでいる。どうやら、紙を折りたたんでから切り込みを入れ模様をつくって、それを開いてできあがるのが「切り紙」と呼ばれるようだ。この場合、模様や文様や図案などが多い。一方「切り絵」は、紙を切ることによって人物や風景などの絵を完成させる方法でつくられた絵画に近いものをさす。日本きりえ協会ではひらがなで「きりえ」と呼んでいる。一部では特に繊細な切り絵を「剪画」と呼ぶ人たちもいる。一方寄席において、ハサミを用いて目の前で白い紙を切って、黒い台紙に重ねてシルエット状に見せるものは、「紙切り」と呼ばれる。下絵もなしに切っていくのは、見事な芸である。中国においては、昔(1000年前)から伝統的につくられている民間芸術としての切り絵があり、これは現在「剪紙」と呼ばれ、一部では「刻紙」とも呼ぶ。そのテーマは十二支や動物や植物や物語などさまざまである。赤や青などに染色された、非常に薄い紙を切った作品が多い。日本では昔から着物生地に模様を染色するのに「型紙」を用いてきた。有名なものに「伊勢型紙」があり「型友禅」も同様である。刃物を用いて紙を切って模様をつくる点で類似しているが、目的は全く異なる。この場合は、油や柿渋などで補強された和紙が用いられ、繰り返しの抜き模様などを彫り抜くことが多い。これが捺染の型紙になる。

437.4浮世絵の歴史   2019年5月27日

 浮世絵とは、江戸時代に発達した風俗画の一様式で、木版画の技術を用いて、人々の日常の生活や風物や人物や風景などを描いたものである。江戸の大衆メデイアとして広く庶民に愛された。現在は一般に多色摺りの木版錦絵のことを「浮世絵」と呼ぶ。最初の浮世絵師は、「見返り美人図」で知られる菱川師宣とされる。最初は絵本、読本の挿絵を描いていたが、絵の部分のみを抜き出して独立した「墨摺りの一枚絵」(これは黒一色)を描くようになった。やがてこの単色墨摺り絵に、筆と絵の具を用いて彩色したものが喜ばれるようになる。いわゆるカラー化であるが、これは高価であった。江戸中期になって、色版による重ね摺りの多色木版技術が生まれた。こうしてカラフルな多色摺りの浮世絵誕生である。ここで重要な発明が「見当」(多色位置合わせの手段)である。1765年ごろ、鈴木春信が多色摺りを考案したとされる。まず題材になったのは、「美人画」と「役者絵」、今で言えばブロマイド写真である。多色摺り木版技術が進歩して量産化で価格が安くなった。次に風景画もつくられるようになった。これは観光スポットを紹介する旅行雑誌のようなもの。東海道五十三次などが広く普及した。

436.小形家電リサイクル   2019年5月23日

 家電のリサイクルでは、2001年に始まったのが「テレビ」「洗濯機」「冷蔵庫」「エアコン」の4品目リサイクルであり、これが先行した。これらは特定家庭用機器に指定され、小売業者と製造業者は消費者から有料で引き取ってリサイクルすることが義務付けられている。上記4品目を除いた家電は、これまで鉄やアルミなど一部金属を除いて埋め立て処分されていたが、5年前に4品目以外の家電にもリサイクルを広げることになった。それが「小型家電リサイクル」で、家庭で使う小型家電から貴重な金属を取り出し再利用しようとするものである。例えば電話機、ドライヤー、扇風機、アイロン、携帯電話など28品目が指定されている。ただしこのリサイクルは「義務」ではない。そして具体的な品目や回収方法などは各自治体に一任されている。この制度自体があまり一般に知られていないこともあって、実際はあまり進んでいない。東京五輪を控えて都市鉱山が注目されてくるようになったが。

435.歌川広重   2019年5月20日

 浮世絵の「東海道五十三次」で有名なのが歌川広重。今年はその初代広重の没後160年になる。初代広重は本名を安藤重右衛門といい、広重という名前は師匠の歌川豊広から与えられたものである。かつては「安藤広重」とも呼ばれたが、現在は「歌川広重」を使う。実は広重は5代まで続いた。3代までは初代の門弟の一番と二番が継いだ。4代は縁ある人物が継ぎ、5代はその4代の子である。こうして「広重」の名は幕末から昭和まで続いたのである。初代広重は、天保4年から「東海道五十三次」を発表し、風景画家としての名声を獲得した。実は初代は生涯で20種類以上もの東海道シリーズを描いている。著名なのは「保永堂版の五十三次」であり、日本橋から始まって京師(京都)までの55作品からなる。また名所絵師として江戸の名所を描いたが、晩年の代表作が「名所江戸百景」である。初代は浮世絵に風景画という新たなジャンルを生み出して、安政5年に62歳で没した。

 

434.ノーベル賞と初期受賞者   2019年5月17日

 ノーベル賞の中核を担ってきた組織が「ノーベル財団」である。ノーベルの助手をつとめていたソールマンらが設立したもので、ストックホルムに本部を置く。この財団自体は受賞者の選考に一切かかわらない。財団は、ノーベルの遺産を運用管理する「管財人」をも担う。ちなみに2016年の賞金額は日本円で約1億1000万円。1901(明治34)年に第1回目のノーベル賞が授与された。このときの物理学賞はドイツの物理学者レントゲンである。受賞理由は「X線の発見」。このときの平和賞は、国際組織赤十字の結成に成功したスイスの実業家デユナンが受賞した。1903年の第3回物理学賞は、放射線を発見したフランスのベクレルと放射線の研究をすすめたキュリー夫妻が受賞した。1905年の生理学・医学賞は、ドイツのロベルト・コッホが「結核に関する研究と発見」で受賞。1908年の化学賞は「原子物理学の父」ザフォードが、「元素の崩壊」等に関する研究で受賞。1911年の化学賞ではラジウムなどの研究でマリ・キューリが2度目の受賞をした。著名なアインシュタインは、1921年「光電効果」に関する研究で物理学賞を受賞している。

433.アルフレッド・ノーベル   2019年5月14日

 わずかな衝撃で爆発するニトログリセリンが人類史に登場したのは1846年のこと。その20年後、このきわめて危険な物質を、人が扱える爆薬「ダイナマイト」として実用化したのが、アルフレッド・ノーベルである。ノーベルが発明したダイナマイトは、鉱山での採鉱や土木工事に革新的な効率化をもたらした。一方で戦場での武器としても需要が拡大し、ノーベルは莫大な利益を得た。功罪ともに存するダイナマイトを発明したノーベルは遺言を残し、それに基づいて1901年にノーベル賞が創設された。現在、物理学賞、化学賞、生理学・医学賞、文学賞、平和賞、経済学賞の6分野がある。経済学賞はノーベルの遺言にはなかったが1968年に新設された。ノーベルは、1833年スウエーデンのストックホルムに生まれた。1867年にニトログリセリンをけいそう土に混ぜて安全にしたダイナマイトを製品化した。世界50か国で特許を取得。1896年ノーベルはイタリアで死去するが、残された遺言書で、遺産の大部分を、人類にもっとも大きく貢献した人に賞の形で与えるように記した。

432.平民宰相:原敬   2019年1月19日

 岩手県盛岡市に原敬記念館がある。日本で本格的政党政治が始まって100年になるが、それを実現させた平民宰相が原敬(はらたかし)である。原敬は1856年盛岡南部藩家老の家に生まれたが、戊辰戦争で旧幕府側に立った南部藩は没落した。19歳で士族の肩書を捨て平民を名乗って東京に出る。そこで猛勉強をして23歳で新聞社に入社。当時の国政を主導していたのは「藩閥」であった。国民の意思をくみ取る政党こそが政治をすべきと考えた原敬は、外務省に入る。外交官としてパリ勤務で多くを学ぶ。ついに1885年に内閣制が誕生する。初代総理大臣は伊藤博文であった。原は伊藤のつくった政党である立憲政友党に入る。そして40代で東北出身初の大臣になる。1918年には原内閣が誕生する。日本初の平民宰相である。1920年の選挙では立憲政友党が衆議院の6割を占めた。原は鉄道網の拡張に力を入れる。だが「我田引鉄」と言われた。悲劇の舞台は東京駅丸の内南口であった。1921年原は刺されて死亡、65歳であった。原敬の墓には遺書に従って「原敬」としか彫られていない。