日本技術士会東北本部

文責 : 東北本部技術士 佐藤

432.平民宰相:原敬

 岩手県盛岡市に原敬記念館がある。日本で本格的政党政治が始まって100年になるが、それを実現させた平民宰相が原敬(はらたかし)である。原敬は1856年盛岡南部藩家老の家に生まれたが、戊辰戦争で旧幕府側に立った南部藩は没落した。19歳で士族の肩書を捨て平民を名乗って東京に出る。そこで猛勉強をして23歳で新聞社に入社。当時の国政を主導していたのは「藩閥」であった。国民の意思をくみ取る政党こそが政治をすべきと考えた原敬は、外務省に入る。外交官としてパリ勤務で多くを学ぶ。ついに1885年に内閣制が誕生する。初代総理大臣は伊藤博文であった。原は伊藤のつくった政党である立憲政友党に入る。そして40代で東北出身初の大臣になる。1918年には原内閣が誕生する。日本初の平民宰相である。1920年の選挙では立憲政友党が衆議院の6割を占めた。原は鉄道網の拡張に力を入れる。だが「我田引鉄」と言われた。悲劇の舞台は東京駅丸の内南口であった。1921年原は刺されて死亡、65歳であった。原敬の墓には遺書に従って「原敬」としか彫られていない。