日本技術士会東北本部

文責 : 東北本部技術士 佐藤

570.マリー・キュリー

 原子爆弾や原子力発電、これらは「放射線の発見」から始まった。見つけたのは女性科学者マリー・キュリー、すなわち女性初のノーベル賞受賞者である。マリーは1867年ポーランドで生まれた。24歳でパリの大学に入学。1895年にはピエール・キュリーと結婚し、ピエールの物置小屋を実験室にして、目に見えない光線の研究に没頭する。1898年に論文を発表、ウランは目に見えない光線を発し続けるが、それまでの「原子は変化しない」という常識では説明できない、原子そのものが変化することで光線を出すのだとした。マリーたちは大量のあらゆる種類の鉱物を調査して、その中についに0.1グラム含まれていた未知の放射性元素を発見した。放射線の強さはウランの100万倍に達した。マリーはこの元素を「ラジウム」と名づけた。1903年に夫婦はノーベル賞を受賞。ラジウムが出す放射線は細胞を壊すことがわかり、がん細胞を殺せる可能性を示した。1906年ピエールは馬車にひかれて死亡、46歳だった。マリーは研究者として放射能に執着するようになった。そして1911年には二度目のノーベル賞を受賞する。1934年に66歳で亡くなった。死因は放射線被ばくによる貧血であった。なんとマリーの長女イレーヌも放射能の研究を行い、母と同様に夫婦でノーベル賞を受賞しているのは驚きだ。2019.06.08