日本技術士会東北本部

文責 : 東北本部技術士 佐藤

548.核開発の歴史

 アメリカでは陸軍主導で、原爆開発を目的にしたマンハッタン計画がつくられ、そのため多くの研究者や科学者が集められてロスアラモス研究所がつくられた。主導したのは所長オッペンハイマーである。そもそもはドイツの原爆開発を怖れたから始めたことだが、1944年になって実はドイツは原爆をつくっていなかったことが判明する。マンハッタン計画は大義を失ったが、計画は加速度的に進行しており、開発に夢中になった科学者たちは自らの暴走に気付かなかった。1945年7月にトリニテイーで実験が行われ、実験は成功した。空襲で壊滅状態の日本に原爆使用が必要かという議論もあったが、戦争を終わらせる手段として原爆の使用が承認された。そして翌月の8月6日に広島にウラン型原子爆弾「リトルボーイ」が落とされた。8月9日には長崎にプルトニウム型原子爆弾「ファットマン」が落とされた。当時オッペンハイマーは戦争を終結させた「原爆の父」として高く評価された。1949年にはソ連が原爆開発に成功する。1952年にアメリカは水素爆弾を開発する。こうして米ソの核開発が激化していった。