日本技術士会東北本部

文責 : 東北本部技術士 佐藤

478.江戸の火災

 「火事と喧嘩は江戸の華」ということばがある。江戸の都は何度も火災にあっている。一度火が付くとどんどん燃え広がってしまう。最初の巨大火災で知られるのが「明暦の大火」である。山手線の内側4分の1にあたる面積が燃えた。犠牲者は6万人以上とされ空前絶後の大火災であった。なおこの時期の人口は50万人。本郷の本妙寺から出火し、スキマなく並ぶ木造の建物を次々と炎がおそった。逃げる人で橋の上が渋滞し、日本橋も焼けた。このときは火災旋風が起こったと推定されている。火災は3日間続き江戸の町の7割が焼け野原になった。江戸城の天守も焼き尽くされた。町はほぼ壊滅したが、そこから江戸はよみがえった。前代未聞の復興事業が行われ、防火力を高めた大改造と住民大移動を実行した。幕府は天守の再建を断念し、町に防火帯を設け、いろは47地区それぞれに町火消しを配置した。江戸町民は破壊消防がやりやすいような壊しやすい家を建てた。その後も江戸は何度も火災にあったが、1万人を超える犠牲者が出ることはなかった。