日本技術士会東北本部

文責 : 東北本部技術士 佐藤

561.「相撲」の歴史

 日本の国技といえば誰もが「相撲」と答えるが、公式には国技とは規定されていない。相撲の原型ができたのは江戸の初期で、当時は「抱え相撲」といって大名たちが相撲とりを抱えて相撲をさせて見学していた。相撲とりは庶民から選ばれたので、庶民の間では道端で勝手にやる「つじ相撲」が流行し、土俵もなく投げ相撲だったので危険でけが人も出た。幕府は江戸での相撲を禁止した。禁止された中で「力士」の呼び方が始まり、「武士」のように礼節と品格を備えた相撲取りであるべきとした。禁止令から35年後、相撲興行が幕府から認められる。土俵がつくられ、勝負技に「押し出し」「寄り切り」が誕生し安全なものになった。当時の番付表で一番上は「大関」だったが、これは実力本位ではなく年功序列の位置だった。当時のスター力士が宮城県出身「谷風」で、関脇だが4年間負けなしの63連勝という強さだった。この谷風に締め縄のような綱をつけた化粧まわしをさせて、「横綱」という呼び方をさせ人気を盛り上げた。あくまでも横綱は階級ではなく称号だった。明治24年になって両国に相撲常設館を建設し、その命名をまかされたのが当時の尾車親方。彼はそこに「国技館」という大胆な名前をつけた。日本人の心に「守るべき大切な伝統」意識を持たせることになり、「まわし」や「まげ」が維持されている。2019.05.22