日本技術士会東北本部

文責 : 東北本部技術士 佐藤

476.水戸黄門

 徳川光圀は、家康の孫で2代目の水戸藩主であり、「水戸黄門」のモデルである。光圀は実際には「諸国漫遊」はしていないし、「天下の副将軍」でもない。江戸時代後期以降、講談や歌舞伎の題材として水戸黄門さまの漫遊記が大衆的人気を獲得した。昭和においては多数の映画がつくられ、テレビ時代劇も大人気となった。徳川三つ葉葵紋の印籠を見せて「控えおろう、この紋所が目に入らぬか」の名文句がテレビで誕生した。モデルとなった印籠は実在する。また助さん格さんもモデルが実在した。光圀に代わり全国を調査して歩いた学者の佐々と安積の二人とされる。「水戸黄門」は創作物であるが、光圀の大きな業績は歴史書「大日本史」の編纂である。その生涯をかけて取り組んだ。光圀は1700年に西山御殿で73歳の生涯を閉じたがその後も編纂は続けられ、明治39年に、250年をかけて完成した。私になじみ深いのはTBSテレビ東野英治郎の水戸黄門である。