日本技術士会東北本部

文責 : 東北本部技術士 佐藤

466.江戸時代の北方開国

 1853年のペリー来航よりも100年以上前の1739年、千島列島を測量南下してきたロシア船が、鎖国中の日本沿岸に達して日本人と物々交換を行い上陸までしていた。1778年にはロシア商人の船が根室に現れ日本に通商を求めたが、松前藩はこれを拒絶した。1792年には日本の漂流民大黒屋光太夫ら3人を乗せて、ロシア使節のラスクマンがエカチェリーナ号で根室湾にやってきて通商を求めた。ラスクマンはロシア皇帝の命で派遣された正式な外交団であった。大黒屋光太夫は、伊勢の千石船の船頭であったが、遭難し7か月の漂流の末にアリューシャン列島でロシア人に保護された。乗組員17人中12人はロシアで亡くなり、2人はロシアに残った。それまで海外の情報は、長崎を通じてオランダ人たちによってもたらされていたが、大黒屋光太夫の証言は、ロシアや欧米のより正しい生の情報であった。ロシア使節プチャーチンが和親条約締結で長崎に来航したのは、ペリー来航の直後であった。