日本技術士会東北本部

文責 : 東北本部技術士 佐藤

703.野村克也さん

野村克也さんが亡くなった(84歳)。日本海に面した漁業の町で生まれたが、3歳の時に父が出征した中国で疫病にかかって亡くなる。母は病弱で生活は苦しかったという。1954年南海ホークスにテスト入団する。プロ初打席は三球三振。1年目は9試合に出るも無安打に終わる。球団からは解雇をほのめかされるがやめないと粘る。王、長嶋といった巨星たちが活躍した時代であった。しかし結局、その出場試合数3017、本塁打数657、安打数2901、打点1988は、いずれも史上2位という成績を誇っている。1965年には三冠王に輝く。「選手として」以上に「監督として」の存在感が際立った。1989年ヤクルトの監督に就任し、93年95年97年と3度ヤクルトを日本一に導いた。データを重視する「ID野球」を掲げた改革を行った。2006年に楽天の監督になり2009年には球団初のクライマックスシリーズ進出を果たした。数々の名言やボヤキを残した。「長嶋や王がヒマワリなら俺は月見草」「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」「マー君神の子不思議な子」など。