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741.信長の父、斎藤道三   2020年10月27日

 NHK大河「麒麟が来る」では、本木雅弘さんが本気で演じる斎藤道三が私は好きだった。乱世にその名をとどろかせ「マムシの道三」とおそれられた。道三が大名として治めたのが交通の要衝美濃であった。それ以前に美濃を治めていたのは土岐氏であったが、道三は家督争いでもめた際に土岐頼芸(よりのり)側について活躍。その結果稲葉山城(現岐阜城)を手に入れた。道三は娘の帰蝶を土岐頼純(よりずみ)に嫁がせるが、よりのりは1年後に24歳で亡くなる。次に帰蝶を嫁がせた相手は頼純の弟だが、それも自害して果てる。土岐一族は次々と命を落とし、頼芸一人になる。こうして頼芸は美濃を追われ、ついに道三は美濃を手に入れた。道三が帰蝶の三度目の嫁ぎ先に選んだのが織田信長であった。尾張の信長は「うつけ」と言われる15歳の若者だったが、道三は信長を評価した。ワンマン道三には家臣の中にも反対する者が多く、家臣たちは息子義龍を支持する。義龍は道三側の弟二人を殺害、道三は2000の兵で義龍側1万7000と戦うが、敗れて1556年63歳で討ち死にする。1567年になって信長は稲葉山城を攻め落とし、岐阜城と名を変える。

740.日本人のお名前「山田太郎」   2020年10月26日

 平凡な名前といえば「山田太郎」「山田花子」であろう。山田=平凡な苗字、と思うが、全日本苗字ランキングで山田は12位である。全国1896の市区町村に確認して、申請書の記載例の欄に何とあるかを調査した。すると意外にも「山田」は1%もなかった。7割ほどを占めたのが「自治体名+太郎」といったものである。「山田太郎」はどうして平凡になったのか?1972年に連載が開始された野球マンガ「ドカベン」の影響がある。作者水島新司によれば、それまで目立たなかったキャッチャーを主役にするのに、主人公以外を珍しい名前にして主人公だけを平凡な名前にしたという。1946年に昭和の名曲「新聞少年」を歌っていた歌手が「山田太郎」である。高度経済成長期、地方から出て新聞配達をしながら学ぶ少年にみんなが共感をもって、歌と歌手名が有名になる。日本の原風景である「山」と「田」に「太郎」をつけて芸名にしたという。それ以降「山田太郎」が標準的な名前になった。

739.タワーマンション   2020年10月25日

 東京などの大都市には今ではタワーマンションが立ち並び、現在も新たに建設が進んでいる。互いに見知らぬ多くの家族が一つの建物の中で生活する「集合住宅」歴史のきっかけとなったのが、東京五輪1964年頃からできた「ニュータウン」であった。そして核家族を中心とした新しいライフスタイルが始まる。ニュータウンができれば、新たに鉄道が敷かれ学校やショッピングセンターができた。ニュータウンの総数は全国2000か所にのぼった。そこから50年ほど経た今、高齢化とスラム化が課題になっている。子どもたちは巣立っていき老夫婦が取り残された。配偶者が亡くなれば孤独高齢者が残される。現在は新たに「タワーマンション」が増えてきている。20階以上の鉄筋コンクリート集合住宅を指す。21世紀になってから都心の交通至便の場所に林立し始めた。全国で1400棟約36万戸が建設されている。特に東京都での集中が激しい。都心部のタワーマンションは資産価値が高いので、投資目的での購入者が3割を占めるという。日本は人口減少が進んでいるのに、都内には次々とタワーマンションが建設されて飛ぶように売れる「不思議」。

738.一目千本桜   2020年10月24日

 大河原町から柴田町の白石川沿い約8キロに植えられた1200本の桜並木は、「一目千本桜」と呼ばれる宮城県内随一の桜の名所として知られる。今年もきれいに花開いたが、新型コロナの影響で「さくらまつり」は中止、花見観光客の姿もほとんどなかった。この桜並木は、大河原町出身の高山開治郎の、ふるさとへの思いによるものだ。高山は6人兄弟の長男として旅館を営む家に生まれたが、15歳の時に父が急逝し旅館も廃業する。残された弟や妹を支えるため東京に出稼ぎに出る。やがて新聞社の経営や美術商などの実業家として成功する。そして故郷への恩返しとして川沿いの堤防に桜を植えることを思いついた。1923年に700本、1927年に500本のソメイヨシノ苗木を植えた。投じた私財は現在の価格で7000万円。その桜老木は100年近く経った今もきれいに花を咲かせる。

737.新型コロナウイルス   2020年10月23日

 外国にだって気軽に行ける、そんなグローバル社会の常識が突然ひっくり返った。人が動けば病気も動く、新型コロナウイルスも勝手に広がったのではなく人間が広げた。全世界での人類移動範囲が拡大し高速になっているから、ウイルスの拡散地域も急速に広まった。始まりは2019年12月31日中国の武漢市当局が27人の「原因不明の肺炎患者」と報告したこと。1月9日になって中国政府が新型コロナウイルスを検出したと発表。日本でも1月15日に中国人男性の感染を確認していたし、1月21日に米国でも武漢から帰国の男性の感染を確認していた。だがまだその恐ろしさに気付いていなかった。1月23日中国政府は武漢を封鎖する。日本では2月5日にクルーズ船ダイヤモンドプリンセス号で感染を確認して、その対応に追われる。3月1日米国ニューヨーク州では初の感染者を確認したが、それが4月には感染者数30万人、死者1万8000人と急速に広がった。3月11日世界保健機関WHOがパンデミックを認定する。日本の感染者数は4月に入って急速に増加し、4月10日には5246人、4月30日には1万3929人になった。世界全体では4月30日感染者数は325万人を超える。

736.和牛とWagyu   2020年10月22日

 世界で牛肉の需要は拡大の一途をたどっている。特に中国での需要が大きい。日本の和牛肉は中国でも最高級の肉質とされて大人気である。「和牛」とは、日本在来種に外来種を交配して品種改良した肉専用種で4品種ある。それは「黒毛和牛」「あかうし」「日本短角種」「無角和種」で、実際は「黒毛和牛」がほとんどを占める。和牛はさらに日本で生まれ育っていることも条件だ。現在日本は和牛の遺伝資源輸出を厳しく制限している。だが和牛の遺伝資源流出事体を止める法律はない。豪州や米国といった畜産大国で「Wagyu」と称する食用牛が育てられてその肉が市場に出回っている。1990年代に北海道の畜産農家の男性が100頭を超える和牛を米国に輸出したのが始まりである。今世界で育てられているWagyuの多くはこの男性が輸出した牛の遺伝子を持つ。生きた和牛や和牛の受精卵が世界に広まるきっかけとなった。

735.弘前城と桜   2020年10月21日

 青森県弘前城は桜で有名だ。およそ400年前の1611年に戦国大名津軽氏が親子二代がかりで築いた。固い守りを有する戦うお城であり、本丸を何重にも囲む堀を有する。天守は五層の屋根を持つ立派なものだった。しかし1627年にその天守は焼失してしまう。そこで幕府に再建を願い出るが許可されず。やがて江戸末期になると日本近海にロシアの軍船がやってくるようになり、武力攻撃を受けて惨敗することにもなる。そんな背景もあって200年近く経った1808年に、幕府の許可がおりて弘前城天守の再建が始まった。それが現在みられるもので、江戸期以前の天守を持つ12城の一つとされる。弘前城天守は、下乗橋を渡るときにちょうど目の前に見える位置に建設されている。再建されたものの明治維新になって役目を終えそこからは荒れ放題になった。元弘前藩士であった菊池氏が私財を投じて城内に1000本の桜を植える。だがそれらは心無い元弘前藩士たちによって破壊された。日清日露戦争の前後に、菊池氏に内山氏も加わって再び城内に慰霊事業と称して再び1000本を超える桜を植える。城内の400本以上が樹齢100年を超えている。中でも最初から生き残っている樹齢138年の桜は、日本で最も古いソメイヨシノの一つである。

734.日本のいちご戦国時代   2020年10月21日

 日本で生で食べられているいちごの消費量は年間9万5000トン。世界一といわれる。バナナやキウイなど多くのフルーツが輸入品なのに比べて、いちごは98%が国産品であり、さらに輸出されて人気になっている。日本ではフルーツの中でいちごが最も種類が多く295種類もある。世界中のいちごの半分以上が日本の品種とされ、207種は2000年以降につくられた。200年前の江戸時代にオランダのいちごが宣教師たちによって持ち込まれたのが最初とされる。戦後にビニールハウスが普及して全国に栽培が広がった。1980年代以降いちご生産でトップを走ったのが栃木県、15年連続で収穫量日本一を誇った。このいちご王国に挑んだのが福岡県である。1983年に新品種「とよのか」を誕生させた。これが大ヒットして福岡が販売額日本一になる。そこで栃木が王者復権をめざして、たった4年で開発したのが1996年「とちおとめ」である。これで日本一に返り咲く。福岡県はきれいな赤をめざして開発を強化し2002年にできたのが「あまおう」である。こうして西の「あまおう」と東の「とちおとめ」の戦いが起こっている。

733.フランス世界遺産「モンサンミシェル」   2020年10月20日

 「モンサンミシェル」は、教会や礼拝堂などいくつもの建物からなる修道院であり、海に浮かぶ一つの岩の上に築かれている。モンサンミシェルとは、大天使聖ミカエルの山を意味する。8~19世紀の1000年以上にわたり、岩山のあちらこちらに建物が造られ増築されていった。その結果高さ80mに及ぶパズルのような建造物になった。実は幾度も崩れては再建されてきた。異なる時代の異なる様式の建築物が、見事に調和している。最も古いとされるのはノートルダム地下礼拝堂である。古い時代、海の中に花崗岩のかたまりからなる巨大な岩山が現れた。そこに修道院がつくられた。中世の時代にはフランスの軍事要塞になって周囲には高い城壁がつくられた。島を囲む海は潮の満ち引きが激しく、流砂が形成されて砂地のエリアが拡大していった。19世紀に島と陸地を結ぶ道路ができて事態を悪化させた。そこで2015年に堤防に代わる橋が完成して潮の流れが復活した。今では川にダムをつくり川の水を利用して、砂の移動を制御している。こうして「海の中にそびえ立つ世界遺産モンサンミシェル」になった。

732.七福神   2020年10月19日

 「七福神」は室町から江戸初期の間に成立した。通常「大国神」「恵比寿神」「毘沙門天」「弁財天」「布袋和尚」「福禄寿」「寿老人」の7人。それぞれが「七福」の有福、清廉、威光、愛敬、大量、人望、寿命に該当するという。安土桃山以降は画題に選ばれて、宝船に七福神が乗り合う図柄が縁起が良いと好まれた。「大国神」は七福神の筆頭であり、日本神話の大国主神とインドの大黒天とが神仏習合でできた神である。右手に打出の小槌を持ち左手で袋の口を握る。「恵比寿神」は海に縁があり商売の神とされる。左わきに大きな鯛を抱える。「毘沙門天」は漢訳されて多聞天といい仏法四天王の一つでインドの神である。甲冑で武装し右手に鉾を持つ。「弁財天」は水をつかさどるインドの女神である。琵琶を抱いて右手にバチを持つ。「布袋和尚」だけは中国唐時代に実在した人物である。肥満体をして杖と布の袋を持つ。「福禄寿」「寿老人」はともに南極星の化身とされ、中国道教の仙神である。「福禄寿」は頭長白ひげで杖を握り白鶴をしたがえる。2020.4.29