佐藤光雄(技術士:機械、宮城県)
« 1 (2) 3 4 5 ... 24 »
 2019/07/23 (103 ヒット)

 スマホ世代の若者にはPHSといってもわからないかも。PHSはPersonal Handy phone Systemの略で、1995年にNTTパーソナルとDDIポケットがサービスを始めた。大半が「070」で始まる番号を使う。国内で現在もPHSサービスを続けているソフトバンクとウイルコム沖縄が、 個人向けサービスを2020年7月で終了すると発表。PHSは一般電話回線からPHS用アンテナを引いて使用するため、家庭用コードレスフォンを外出先でも使えるようにしたのが始まり。近距離での通話を得意とし、携帯電話に比べて音質がよく料金も安い。ただ遠距離になるほど料金は高くなる。今も病院内や会社内、また自動販売機などのデータ収集などに使われる。「ピッチ」の愛称で1997年には契約件数が700万件を超えてピークに達した。基地局の設置コストが安いため地下街や地下鉄などへのエリア展開が携帯電話よりも早かった。しかし携帯電話も音質が向上して料金も下がり、PHSのメリットは小さくなった。2017年12月時点での携帯電話契約件数は1億6700万件、一方PHSは278万件。


 2019/07/21 (63 ヒット)

 大昔、鉄は太古の海に地表から流れ込んだ。約27億年前に光合成細菌が出現して酸素をつくりだした。鉄はこの 酸素で酸化されて沈殿し鉱床となった。これが地表に出たのが鉄鉱石の鉱山である。製鉄とは、この鉄鉱石から酸素を奪って微量の炭素を加えて鋼をつくることである。純粋の鉄はやわらかい。炭素を加えると硬くもろくなる。炭素量2%未満で、適正な粘り強さをもたせることができる。製鉄所には2種の炉がある。高さ100mもある高炉に鉄鉱石とコークスを交互に入れて下から高温の熱風を吹き込む。鉄鉱石は熱で酸素が奪われ同時にコークスの炭素が鉄と結びつく。最高2200度にして約8時間後、溶けた鉄(銑鉄)を炉の下から取り出す。ただこれは炭素量が4%以上もあるので、転炉に移して酸素を吹き込んで中の炭素を燃やす。日本では古来「たたら製鉄」という方法で砂鉄と木炭から鋼をつくっていた。


 2019/06/17 (83 ヒット)

 「塩梅」と書いて「あんばい」と読む。元々は食物に辛みをつける塩と酸味をつける梅の組合せの意味だが、やがて料理の味加減や物事の程合いや具合を示すようになった。塩と梅とは切っても切れない深い関係があり、その微妙な組合せが梅干しのできを決定する。梅はそのままでは食に適さないが、塩と一緒に加工することではじめておいしい食べ物になる。梅にとって塩の重要な役割は3つ。ひとつは「保存性」で塩漬けにすることで腐りにくくなる。二つ目は「味」で塩味は梅肉の酸味とうまく調和する。三つめは「加工性」で塩漬けにより梅の果汁が「梅酢」となって梅の形がくずれにくくなる。最近では、健康志向の高まりから、減塩して食べやすいように鰹節や昆布、蜂蜜などを加えた「調味梅干し」が多く出回るようになった。ただし減塩すると賞味期限は短くなるので注意が必要。梅干しには、血糖値上昇を抑え、便秘解消を助け、肝機能の働きを高めるなどの効果がある。


 2019/06/14 (102 ヒット)

 機会があって伊豆の国市にある韮山反射炉を見学してきた。明治日本の産業革命遺産として2015年に世界文化遺産に登録された。反射炉とは、17~18世紀にかけてヨーロッパで発達した、金属を溶かして大砲などを鋳造するための溶解炉である。内部の天井がドーム状になった炉本体と、レンガ積みの高い煙突からなる。木炭や石炭を燃やして発生させた熱や炎を炉内の天井で反射させ、一点に集中させることによって銑鉄を溶かすための千数百度の高温を実現する。炉内壁を放物線状にして銑鉄に熱の焦点が当たるようにする。韮山反射炉は2基4炉からなり高さは15.7m。竣工は安政4年(1857年)であり、韮山には反射炉以外の設備もあって大砲製造工場を形成していた。釜石でつくられた銑鉄が運ばれ、それを反射炉で溶解させ、溶けた鉄をカノン砲鋳型に流し込み、次に水車の動力でこれを回転させて穴をくり抜くという工程である。この反射炉製造に力を尽くしたのは韮山代官であった江川英龍であるが、英龍自身は完成を見ずに世を去った。その息子が反射炉を完成させた。稼働を終えた後も150年以上にわたり、地域の協力で修理保存されてきた。


 2019/06/11 (84 ヒット)

 地球が一日に1回自転していることは、今では誰もが知っている。1851年、この当時もすでに多くの人が、地球が自転しているらしいことは知っていた。しかしその証拠は得られていなかった。フランスの科学者フーコーは、パリのパンテオン寺院で、天井から伸びた長さ67mもの長さの針金に重さ28キロのおもりをつけた巨大な振り子を用意し、世界で初めて地球の自転を証明する実験を行った。振り子を振り続けたところ、振れの方向が徐々に時計回りにずれてきたのである。通常なら振り子の振れる方向を変える力は存在しない。実は振り子の振れ方向は同じままで、振り子を観察している自分たちがその地面ごと回転していたのである。振り子の向きがどれだけずれるかは、緯度によって異なる。赤道上でこの実験をしても振り子の方向はずれない。そして振り子を長時間振り続けるためには、ひもを長くとることとおもりを重くすることが必要だった。国立科学博物館や大阪市科学館などにもフーコーの振り子が設置されている。

 


 2019/06/07 (112 ヒット)

 同じことを以前にも書いたかもしれませんが…。秋田新幹線は1997年に開業した。しかしこの呼び方は間違いである、なぜなら従来線を使っており「新幹線」ではないから。正式には「新幹線直通特急」という。

ルートの大半は以前の「田沢湖線」を使っている。従来線と新幹線ではレールの間隔が異なるのに、秋田新幹線「こまち」は東京から秋田までそのまま走る。どうやっているのだろうか?従来線のレール間隔は「狭軌」と呼ばれ1067mmである。「標準軌」の1435mmになったのは、1964年の東海道新幹線が最初である。回答は、秋田新幹線を通すために従来線のレール間隔を「標準軌」に改造してしまったのである。もちろん同じ線路を走る在来線の車両もそれに合わせて改造した。しかしさすがにトンネルや駅のホームまで改造することはできず、そのために秋田新幹線の車両は通常新幹線車両に比べて狭いままである。その幅は在来車両と同じ2946mm。なお一部区間では、狭軌の車両も通す必要があって、そこではレールを3本設置してそのうちの2本を使う方式になっている。

 


 2019/06/04 (96 ヒット)

 血液中のタンパク質などの分子には、それぞれ互いに少しずつ構造が異なる複数のタイプがある。その違いが「血液型」である。赤血球の膜にある分子の違いによるものだけでも、ABO血液型、Rh血液型など250種以上の血液型があるという。輸血においては、ABO血液型とRh血液型がチェック確認される。臓器移植の場合はさらに、白血球にある分子の型であるHLA型の適合も重視される。かつてO型から他の型への輸血は可能と教えられたが、やはりこうした輸血は避けるべきとして現在では行われていない。A型の遺伝子型はAAかAOで日本人の約4割を占める。B型の遺伝子型はBBかBOで日本人の約2割を占める。AB型の遺伝子型はABで日本人の約1割を占める。O型の遺伝子型はOOで日本人の約3割を占める。どの民族でも最大多数派のA型が進化上の祖先型とされ、類人猿にもABOの血液型がある。血液型と性格のことが話題になるが、科学的根拠はないようだ。


 2019/06/01 (69 ヒット)

 書店に行くと、「切り絵」と書かれた本と「切り紙」と書かれた本とが並んでいる。どうやら、紙を折りたたんでから切り込みを入れ模様をつくって、それを開いてできあがるのが「切り紙」と呼ばれるようだ。この場合、模様や文様や図案などが多い。一方「切り絵」は、紙を切ることによって人物や風景などの絵を完成させる方法でつくられた絵画に近いものをさす。日本きりえ協会ではひらがなで「きりえ」と呼んでいる。一部では特に繊細な切り絵を「剪画」と呼ぶ人たちもいる。一方寄席において、ハサミを用いて目の前で白い紙を切って、黒い台紙に重ねてシルエット状に見せるものは、「紙切り」と呼ばれる。下絵もなしに切っていくのは、見事な芸である。中国においては、昔(1000年前)から伝統的につくられている民間芸術としての切り絵があり、これは現在「剪紙」と呼ばれ、一部では「刻紙」とも呼ぶ。そのテーマは十二支や動物や植物や物語などさまざまである。赤や青などに染色された、非常に薄い紙を切った作品が多い。日本では昔から着物生地に模様を染色するのに「型紙」を用いてきた。有名なものに「伊勢型紙」があり「型友禅」も同様である。刃物を用いて紙を切って模様をつくる点で類似しているが、目的は全く異なる。この場合は、油や柿渋などで補強された和紙が用いられ、繰り返しの抜き模様などを彫り抜くことが多い。これが捺染の型紙になる。


 2019/05/27 (47 ヒット)

 浮世絵とは、江戸時代に発達した風俗画の一様式で、木版画の技術を用いて、人々の日常の生活や風物や人物や風景などを描いたものである。江戸の大衆メデイアとして広く庶民に愛された。現在は一般に多色摺りの木版錦絵のことを「浮世絵」と呼ぶ。最初の浮世絵師は、「見返り美人図」で知られる菱川師宣とされる。最初は絵本、読本の挿絵を描いていたが、絵の部分のみを抜き出して独立した「墨摺りの一枚絵」(これは黒一色)を描くようになった。やがてこの単色墨摺り絵に、筆と絵の具を用いて彩色したものが喜ばれるようになる。いわゆるカラー化であるが、これは高価であった。江戸中期になって、色版による重ね摺りの多色木版技術が生まれた。こうしてカラフルな多色摺りの浮世絵誕生である。ここで重要な発明が「見当」(多色位置合わせの手段)である。1765年ごろ、鈴木春信が多色摺りを考案したとされる。まず題材になったのは、「美人画」と「役者絵」、今で言えばブロマイド写真である。多色摺り木版技術が進歩して量産化で価格が安くなった。次に風景画もつくられるようになった。これは観光スポットを紹介する旅行雑誌のようなもの。東海道五十三次などが広く普及した。


 2019/05/23 (60 ヒット)

 家電のリサイクルでは、2001年に始まったのが「テレビ」「洗濯機」「冷蔵庫」「エアコン」の4品目リサイクルであり、これが先行した。これらは特定家庭用機器に指定され、小売業者と製造業者は消費者から有料で引き取ってリサイクルすることが義務付けられている。上記4品目を除いた家電は、これまで鉄やアルミなど一部金属を除いて埋め立て処分されていたが、5年前に4品目以外の家電にもリサイクルを広げることになった。それが「小型家電リサイクル」で、家庭で使う小型家電から貴重な金属を取り出し再利用しようとするものである。例えば電話機、ドライヤー、扇風機、アイロン、携帯電話など28品目が指定されている。ただしこのリサイクルは「義務」ではない。そして具体的な品目や回収方法などは各自治体に一任されている。この制度自体があまり一般に知られていないこともあって、実際はあまり進んでいない。東京五輪を控えて都市鉱山が注目されてくるようになったが。


 2019/05/20 (58 ヒット)

 浮世絵の「東海道五十三次」で有名なのが歌川広重。今年はその初代広重の没後160年になる。初代広重は本名を安藤重右衛門といい、広重という名前は師匠の歌川豊広から与えられたものである。かつては「安藤広重」とも呼ばれたが、現在は「歌川広重」を使う。実は広重は5代まで続いた。3代までは初代の門弟の一番と二番が継いだ。4代は縁ある人物が継ぎ、5代はその4代の子である。こうして「広重」の名は幕末から昭和まで続いたのである。初代広重は、天保4年から「東海道五十三次」を発表し、風景画家としての名声を獲得した。実は初代は生涯で20種類以上もの東海道シリーズを描いている。著名なのは「保永堂版の五十三次」であり、日本橋から始まって京師(京都)までの55作品からなる。また名所絵師として江戸の名所を描いたが、晩年の代表作が「名所江戸百景」である。初代は浮世絵に風景画という新たなジャンルを生み出して、安政5年に62歳で没した。

 


 2019/05/17 (54 ヒット)

 ノーベル賞の中核を担ってきた組織が「ノーベル財団」である。ノーベルの助手をつとめていたソールマンらが設立したもので、ストックホルムに本部を置く。この財団自体は受賞者の選考に一切かかわらない。財団は、ノーベルの遺産を運用管理する「管財人」をも担う。ちなみに2016年の賞金額は日本円で約1億1000万円。1901(明治34)年に第1回目のノーベル賞が授与された。このときの物理学賞はドイツの物理学者レントゲンである。受賞理由は「X線の発見」。このときの平和賞は、国際組織赤十字の結成に成功したスイスの実業家デユナンが受賞した。1903年の第3回物理学賞は、放射線を発見したフランスのベクレルと放射線の研究をすすめたキュリー夫妻が受賞した。1905年の生理学・医学賞は、ドイツのロベルト・コッホが「結核に関する研究と発見」で受賞。1908年の化学賞は「原子物理学の父」ザフォードが、「元素の崩壊」等に関する研究で受賞。1911年の化学賞ではラジウムなどの研究でマリ・キューリが2度目の受賞をした。著名なアインシュタインは、1921年「光電効果」に関する研究で物理学賞を受賞している。


 2019/05/14 (48 ヒット)

 わずかな衝撃で爆発するニトログリセリンが人類史に登場したのは1846年のこと。その20年後、このきわめて危険な物質を、人が扱える爆薬「ダイナマイト」として実用化したのが、アルフレッド・ノーベルである。ノーベルが発明したダイナマイトは、鉱山での採鉱や土木工事に革新的な効率化をもたらした。一方で戦場での武器としても需要が拡大し、ノーベルは莫大な利益を得た。功罪ともに存するダイナマイトを発明したノーベルは遺言を残し、それに基づいて1901年にノーベル賞が創設された。現在、物理学賞、化学賞、生理学・医学賞、文学賞、平和賞、経済学賞の6分野がある。経済学賞はノーベルの遺言にはなかったが1968年に新設された。ノーベルは、1833年スウエーデンのストックホルムに生まれた。1867年にニトログリセリンをけいそう土に混ぜて安全にしたダイナマイトを製品化した。世界50か国で特許を取得。1896年ノーベルはイタリアで死去するが、残された遺言書で、遺産の大部分を、人類にもっとも大きく貢献した人に賞の形で与えるように記した。


 2019/01/19 (168 ヒット)

 岩手県盛岡市に原敬記念館がある。日本で本格的政党政治が始まって100年になるが、それを実現させた平民宰相が原敬(はらたかし)である。原敬は1856年盛岡南部藩家老の家に生まれたが、戊辰戦争で旧幕府側に立った南部藩は没落した。19歳で士族の肩書を捨て平民を名乗って東京に出る。そこで猛勉強をして23歳で新聞社に入社。当時の国政を主導していたのは「藩閥」であった。国民の意思をくみ取る政党こそが政治をすべきと考えた原敬は、外務省に入る。外交官としてパリ勤務で多くを学ぶ。ついに1885年に内閣制が誕生する。初代総理大臣は伊藤博文であった。原は伊藤のつくった政党である立憲政友党に入る。そして40代で東北出身初の大臣になる。1918年には原内閣が誕生する。日本初の平民宰相である。1920年の選挙では立憲政友党が衆議院の6割を占めた。原は鉄道網の拡張に力を入れる。だが「我田引鉄」と言われた。悲劇の舞台は東京駅丸の内南口であった。1921年原は刺されて死亡、65歳であった。原敬の墓には遺書に従って「原敬」としか彫られていない。


 2019/01/13 (178 ヒット)

 自然界・生物界において、移動などに「回転輪」を用いているものは、ほぼ存在していない。人類にとってあらゆる時代を通して最も重要な機械的発明、それが「車輪/回転輪」である。水車からジェット機まで私たちが日常的に使っているもののすべてが、何らかの形で「車輪/回転輪」に依存している。回転輪を最初に利用したのは古代メソポタミア人と考えられている。彼らは紀元前3200年頃には戦車をつくり出している。ちなみに、マヤ・アステカ・インカはいずれも高度に発展した文明であるが、「車輪/回転輪」は使われていない。「車輪/回転輪」を用いた荷車や馬車を使えば、摩擦を大幅に軽減でき、速度が速くなり、方向を変えるのも容易になる。こうして荷物を運ぶための労力低減に大きな効果をもたらした。それに対応して道路が整備されるようになる。また「回転輪」を利用して動力を得る方法を開発した。最初は水車や風車であったが、産業革命において、蒸気を利用してそれまでよりずっと大きな動力を得る技術を得た。今や身の周りを見れば多くの製品がエンジンや電動モーターによる回転を利用している。水車や風車を回転させる発電や、タービンを回転させる発電は「電力」を生み出して、私たちの豊かな生活をもたらしている。


 2019/01/10 (166 ヒット)

 コンタクトレンズは、薄いレンズを目に装着するだけで視力矯正ができ、大変便利なものである。コンタクトレンズはプラスチックでできており、大きく分けて「ソフトレンズ」と「ハードレンズ」の2種類がある。ソフトレンズは水を含むプラスチックでできていてやわらかい。ハードレンズは水を含まないプラスチックでできていて硬い。現在ではコンタクトレンズ使用者の約8割が「ソフトレンズ」であるという。歴史的に見れば、最初はガラス製だったが、1940年代になってプラスチックの新しいコンタクトレンズが開発された日本では1951年にメニコンの創業者田中が日本初の角膜コンタクトレンズ実用化に成功した。コンタクトレンズは眼鏡に比べて本来の見え方に近いという利点がある。顔を下に向けても落ちることはないが、これは涙の表面張力によるものである。ハードレンズよりソフトレンズの方が、涙が蒸発しやすいため、ドライアイになりやすいとされる。またうっかりコンタクトレンズをつけたまま寝てしまうと、角膜へ酸素供給不足になり視界がぼやけたりすることがある。


 2019/01/04 (106 ヒット)

 現在は春彼岸にあたる。お彼岸は、生死流転のこの世界(此岸)から涅槃の世界(彼岸)への道を無事にたどりつくために、日ごろの自分を反省し、ご先祖に感謝していこうというもの。お彼岸には仏壇やお墓を美しく整え、花や水、故人の好物などをお供えし供養する。「お彼岸」行事は仏教の発祥地であるインドにも、中国にもない日本独自の仏教習慣である。「暑さ寒さも彼岸まで」というように、一年のうちでもっとも良い季節にあり、彼岸は春と秋との2回。春の彼岸は春分の日を中心に前後3日の七日間、秋の彼岸は秋分の日を中心に前後3日の七日間である。春分の日と秋分の日は、昼と夜の長さが同じになる日である。春彼岸に食べるのは「ぼたもち」で、秋彼岸に食べるのは「おはぎ」であるが、実は同じものである。春は「ぼたんの花」を秋は「萩の花」を意識して呼ばれる。


 2018/12/29 (130 ヒット)

 殺虫剤には大きく分けて「スプレータイプ」「煙タイプ」「えさタイプ」の3種がある。蚊やハエの殺虫剤に最もよく使われている成分は、「ピレスロイド剤」と呼ばれるものである。これは昆虫の皮膚や気門を通して体内に入り込み、神経細胞にあるナトリウムチャネルという部分にくっつく。ナトリウムチャネルはナトリウムイオンを取り込むための通路であるが、ここにピレスロイド剤がくっつくとチャネルが開いたままで閉じなくなり、神経細胞が興奮しっぱなし状態になる。その結果体にけいれんが起こり、昆虫は動けなくなる。家庭用殺虫剤として次によく使われるには「有機リン剤」である。これも昆虫の神経細胞に作用して、興奮様態を止まらなくする。こうした殺虫剤成分であるが、正しい使い方なら人に害が出る影響はほとんどない。理由の第一は、その有効成分の量が人にとってはかなり微量だからである。第二は人体にはこうした殺虫剤成分を分解する解毒酵素があるから。ただ昆虫の中には、殺虫剤成分への抵抗性が増して、しぶとく生き続けるものがいるらしい。


 2018/12/26 (117 ヒット)

 鉄は最も身近な金属のひとつである。人類は鉄を使って、武器を作り、列車を走らせ、高層ビルを建ててきた。鉄は自然界には酸化鉄や硫化鉄の形で存在する。歴史的には「石器時代」「青銅器時代」に続いて「鉄器時代」がやってくる。紀元前3000年頃メソポタミアで鉄が知られていたが、当時は鉄鉱石から鉄を製錬することはできず、紀元前1400年頃になってヒッタイトにおいて初期製鉄法が開発された。地球の中心には鉄とニッケルでできた「核」があり、地球の質量の3分の1は鉄で占められているらしい。実は地球は「鉄の惑星」といえる。中心核の鉄は高温のため液体になって対流している。このため電磁石の役目をはたし地球の磁場を生んでいる。恒星の内部では核融合反応が進むが、この核融合の終着点が原子番号26の鉄なのである。全ての原子核の中で最も核反応を起こしにくいのが鉄である。


 2018/12/23 (98 ヒット)

 100歳以上のお年寄り(百寿者という)の人数は、1963年には全国で153人だったが2017年には6万7000人で、400倍以上に増えた。男女比は7:1で圧倒的に女性が多い。世界で最も百寿者が多い国は米国で、2位が日本、3位が中国、4位インドと続く。百寿者の性格調査結果では、男性は好奇心が旺盛で新しいものを受け入れられる開放性が高い人、女性はいろいろな人とつきあえる外向性や開放性誠実性が高い人、だという。「フレイル」とは虚弱を意味する英語からきているが、年をとり心身の活力が衰え弱々しくなった状態をいう。フレイル予防は、(1)運動、(2)食と栄養、(3)社会参加の3つを継続していくことという。「運動」「文化活動」「ボランティア」「地域活動」をやっている人は、フレイルのリスクが低い。また「オーラルフレイル」という言葉もあり、しゃべったり食べたりという「口まわりの健康」が大事だ。しっかり呼吸し、話をし、よくかんで、しっかり飲み込み、唾液を出して、おいしいものをおいしいと感じること。


« 1 (2) 3 4 5 ... 24 »