日本技術士会東北本部

613. 「日本そば」の話

 江戸初期の「そば」は「そばがき」という団子状のものだった。麺状のそばが食べられるようになったのは江戸中期からである。ただ、そばの麺は切れやすかったため、ゆでるのではなく蒸すことにして、蒸したときのセイロの状態で客に出すことにした。その習慣が今に残りそばはセイロで出される。現在の目的はむしろ水切りにあるが。そば生地を延ばしてから大きな包丁で一定の幅に切っていくが、どうして高さのある大きな包丁が必要なのか?実はそば切りの際には左手で小間板というのを抑えて、包丁のガイドにしている。切った直後に包丁を倒してやることで小間板を一定量ずらすのであるが、そのためには包丁に高さが必要ということだ。そばは一人前の量が少ない。江戸時代後期主流だったのが、小麦粉2割そば粉8割の「二八そば」である。この二八にかけてそばの値段は十八文と決まっていた。この値段は100年間変わらなかったという。しかし物価の上昇によって困ったそば屋は、値段を変えるのではなくそばの量を減らしたのである。

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