日本技術士会東北本部

文責 : 東北本部技術士 佐藤

159.黒部ダムの工事

 今でも語り継がれる「世紀の大工事」といわれるのが黒部ダム工事である。高い山々に囲まれた黒部峡谷は古くから人々を寄せ付けない難所であったが、降水量が多く急峻なことから水力発電には有利な条件を備えていた。

 1955年関西電力社長の太田垣士郎は「くろよん」の建設を決断した。現在は黒部ダムと呼ばれるが、黒部川第四発電所である。翌年建設工事に着工、大町トンネルの掘削を開始した。

 ところが1691m進んだところで最大の危機「破砕帯」に遭遇する。破砕帯とは地下水を溜め込んだ

軟弱な地層である。大町トンネルを担当したのは間組であった。彼らの破砕帯との格闘は7ヶ月に及び、その苦闘は映画「黒部の太陽」やNHK「プロジェクトX」でも紹介された。考えられるあらゆる対応策がとられた。

 1958年ついに、資材機材運搬の大動脈となる全長5.4キロの大町トンネルが開通した。こうして昭和38年、着工から7年の歳月を経て、総工費513億円、延べ人数1000万人を投入して国内最大級のダム水路式発電所「くろよん」は完成したのである。

 そこには171名の尊い犠牲があった。総工費513億円は関西電力資本金の5倍であった。ダムの高さ186mは今も日本一である。発電所は地下200mの場所に建設された。

 今でも、当時の人々の努力は感動を呼ぶ。