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812.江戸幕府と鎖国


 徳川家康は、江戸幕府を開いた当初は対外貿易に積極的だった。東南アジアとの貿易に「朱印状」を与えて、幕府公認の朱印船が往来していた。日本からの輸出品は銀銅鉄など、輸入品は生糸絹織物象牙など。かつて日本は金属資源の輸出国だったという事実が面白い。中国(明)の商船も長崎や平戸に多数来航していた。そのころヨーロッパではオランダとイギリスが東インド会社を設立し、アジアへの進出を進めていた。オランダとイギリスは家康の承認を得て平戸に商館を開き、日本との貿易を開始した。だが当時すでに日本の最大の貿易国はポルトガルであった。家康は当初、ポルトガルとスペインの宣教師によるキリスト教布教を黙認していたが、信者は増加して70万人にも達した。そこで家康は禁教令を出して宣教師を国外追放した。三代将軍家光のとき1637年長崎島原でキリシタンが一揆をおこす、総大将は天草四郎。幕府は大軍で原城跡を攻めてようやく鎮圧した。家光はポルトガル船の来航を禁止し、オランダの商館を長崎出島に移した。こうして日本に来航して貿易するのは中国とオランダのみになった。この体制を「鎖国」と呼ぶ。この鎖国体制と禁教は幕末まで続いた。江戸時代多くの若者が出島へ行ってオランダから西洋の医術や技術などを学んだのは、そういうことだった。