日本技術士会東北本部

文責 : 東北本部技術士 佐藤

773.朝ドラ「エール」古関裕而

 私は朝ドラ「エール」を楽しみに見ている。古関裕而は明治42年福島市の老舗呉服店「喜多三」の長男として生まれた。弟と二人兄弟。幼少時代は父が購入した蓄音機から流れる音楽を聴き、10歳で卓上ピアノを用いて作曲を始める。20歳でロンドンの国際音楽コンクールに自作曲5曲を応募し入賞する。妻金子(きんこ)は豊橋で陸軍に馬具を納める商店の三女として生まれる。裕而と金子は文通を続けて、昭和5年に金子が福島へ行き結婚する。二人の文通は3か月で百数十通に及ぶ。二人は上京し、裕而は日本コロムビアの専属作曲家となる。22歳で早稲田大学応援歌「紺碧の空」を作曲。昭和10年に初のヒット曲となったのが「船頭可愛いや」。一方金子は帝国音楽学校に入学し母として声楽家として活躍する。裕而は作曲時に楽器を用いないで、机に向かい五線譜上で曲をつくる。楽譜が読めない私から見れば不思議な能力だ。裕而はプロの作曲家としてたくさんのスポーツ応援歌や流行歌をつくった。戦時中には戦意高揚の戦時流行歌もつくった。作曲は全部で5000曲とされる。子どもの頃にテレビで見た「家族そろって歌合戦」の審査委員長をやっていた姿がよみがえる。ちなみに私が好きな曲は「イヨマンテの夜」。