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585.おもしろい生物「粘菌」   2020年5月27日

 単細胞生物である「粘菌」は、世界中で私たち人類の身近に存在している。「変形菌」とも呼ばれる。はるか昔から地球に生息する生物である。粘菌は周囲の条件がよくて食べ物がありさえすれば、どんどん大きくなりメートル級にまでなる。それでも細胞は一つである。アメーバ運動で常に形を変えながら広がっていく。広がる速度は1時間に1センチ。湿った場所が好きで光を嫌う。最近はネットで販売されていてペットに飼う人もいる。一般の多細胞生物は一つの細胞に一つの核をもつが、粘菌は単細胞ながら大量の核をもっているから、切断分離してもそれぞれが成長し子孫を残すことができる。アメーバ状の「変形体」はきのこ状の子実体に変身し、中に蓄えた胞子を放出して生育域を拡大する。1個の細胞でありながら、形や機能が異なる複数の部分を構成しているから不思議だ。実に豊富な種類があって千差万別らしい。

584.仙台定禅寺通り   2020年5月26日

 1601年に伊達政宗が仙台城築城を始めたときに、鬼門封じのために現在の第二合同庁舎あたりに寺を開基した。その参道として整備されたのが「仙台定禅寺通り」である。しかし明治の廃仏毀釈で寺は廃寺になった。1945年の仙台大空襲でまちは大きな被害を受けた。その復興土地区画整理事業で、定禅寺通りは46メートルに拡幅された。1958年にケヤキの植樹が始まった。そして今では両側の歩道と道路中央の緑地に計4列のみごとなケヤキ並木が続く。ビルの5階あたりまで伸びた約160本の木々からなる。定禅寺通りの緑道には3体の彫刻像が立つ。1986年からは冬の期間に光のトンネルが現れる。「SENDAI光のページェント」はLED60万個の電球が光る。1991年からは「定禅寺通りストリートジャズフェスティバル」が行われている。いずれも仙台市民が手作りで始めた。

583.東洲斎写楽   2020年5月25日

 江戸の浮世絵師である東洲斎写楽は「なぞの人」だ。江戸時代、役者や関取の絵を描いた浮世絵は大変人気があった。今でいうブロマイドであり美化して描くのが通常だった。そんな1794年に突如、無名新人の浮世絵が、人気版元であった蔦屋から発売された。それもデビュー作で一度に28枚を一挙に出版した。それまでの役者浮世絵とは異なり、上半身だけを描いた「大首絵」で役者を美化することがなかった。背景には黒雲母が使われた。作者は東洲斎写楽。だがこの新しい浮世絵は庶民に受け入れられなかった。異端の一発屋だった。合計で100枚余の浮世絵を描いたが、デビューからわずか10か月で姿を消した。この写楽が何者であったのかはわかっていない。八丁堀に住む能役者だったという説が有力。100年後になってヨーロッパで、写楽の浮世絵が高い評価を受けることになった。2019.07.03

582.「100年安心」年金の話   2020年5月24日

 最近は「100年安心年金」が話題になっている。「100年安心」は、決して「私が暮らしていける額の年金をもらえる安心」ではない。「年金100年安心プラン」ということばは、2003年に総選挙向けに公明党が打ち出したもの。年金制度に大きな転機があったのが2004年。それまでは「年金をどれだけ渡すか」を前提にして保険料を決めていたが、これ以降は現役の保険料負担の上限を定めその範囲内で年金を配ることにした。合わせて「マクロ経済スライド」という年金の抑制策を導入した。これは物価や賃金の伸びに合わせて毎年改定される年金額の水準を、働く人の減少と平均余命の伸びに応じて自動的に引き下げる仕組みである。この仕組みを使って将来の給付と負担のバランスがとれる見通しがつくまで抑制を続ける。抑制終了後は抑制の水準に維持して「約100年間でバランスをとる」というもの。そのモデル世帯に設定したのが厚生年金の夫と専業主婦の妻というモデルで、2人分の年金が現役世代の平均的手取り収入の50%を切らないというもの。それにしてもわかりにくい。

581.定年制雇用   2020年5月23日

 「新卒一括採用」「終身雇用」「定年制」というのが、日本で続いてきた雇用環境だったが、変化してきている。政府は「70歳定年」を打ち出した。半世紀前には定年は55歳だった。2013年に希望者については65歳まで雇用するように義務付けた法律が施行された。60歳で定年を迎えた後、希望者は契約社員として65歳まで働けるというケースが多い。そもそも定年は世界共通の制度ではない。日本で初めて定年が設けられたのは1887(明治20)年。海軍の火薬製造所で「55歳定年」の記録が残っている。明治後期から昭和にかけて民間企業にも定年制度が普及した。健康で働ける限り何歳までも働きたいという人がいる一方で、定年後には自由な時間をもって趣味などをやりたいという人もいる。テレビでいろいろな分野の職人などが、70歳80歳を超えても働いている姿を見るが、すばらしいと思う。いつまでも社会に求められて働けるなら最高だろう。

580.江戸時代の時刻表示   2020年5月22日

 時刻の決め方には「定時法」と「不定時法」がある。一日を24等分して時刻を決めている現在の方法が「定時法」である。「不定時法」とは、一日を昼と夜に分けそれぞれを等分して時刻を決める方法である。江戸時代には、日の出約30分前を「明け六つ」、日没約30分後を「暮れ六つ」とし、それぞれを昼6等分夜6等分して一刻(いっとき)とした。一日は12刻である。不定時法では「一刻」の長さが季節によって大きく変化する。江戸時代の庶民は、「太陽が昇る」「太陽が沈む」を生活のリズムとして暮らしており、時刻の誤差を問題にはしなかった。不定時法に対応する時計を基にして寺の鐘が鳴らされた。その時鐘ネットワークがつくられて庶民は鐘の音で時刻を知った。江戸時代の時刻の呼び方は2種類があった。ひとつは真夜中の一刻から順に、子丑寅卯……亥の12子を順に割り当てたもので、もう一つは九~四の6個の数字を真夜中の一刻から順に二回り割り当てたもの。「お江戸日本橋七つ立ち」は夜明け前の七の刻に出発することをさした。2019.06.26

579.イスラームの歴史   2020年5月21日

 仏教、キリスト教と並ぶ世界三大宗教のひとつが「イスラーム」である。イスラームは、ユダヤ教とキリスト教に影響を受けて生まれた。唯一の神だけを信じ、信者は全て神の前で平等であるとする。教えは偶像崇拝を禁止している。現在イスラームの信者数はおよそ16億人にのぼるという。「メッカ」はイスラームが誕生した聖地である。ここにあるカーバ神殿には世界中から多くの信者が巡礼に訪れる。このメッカで570年にムハンマドが生まれた。ムハンマドは610年頃ヒラー山にこもり瞑想に入る。そしてある日、唯一絶対の神「アッラー」の言葉が伝えられた。ムハンマドは神のことばを伝える預言者となった。徐々に信者を増やしムスリムによる共同体を形成、兵力を整え630年にメッカを征服してイスラームの聖地とした。その後アラビア半島を統一する。ムハンマドの死後、その言葉は書物にまとめられ「聖典コーラン」となった。

578.意外と知らない卵の話   2020年5月20日

 ニワトリは約2000年前に朝鮮半島から伝わった。その卵を一般に食べるようになったのは江戸時代から。ニワトリの卵は、卵殻(カラ)、卵殻膜(カラの内膜)、卵白(白身)、卵黄(黄身)からなる。卵殻は内部を保護する役目で94%が炭酸カルシウムからなる。そして卵殻にはたくさんの小さな穴(気孔)があいている。卵白は9割が水分で残りがたんぱく質、卵黄は約半分が水分で残りが脂質やたんぱく質からなる。卵を割るとひも状の白い部分があるが、これは「カラザ」といって卵黄を卵の中心部に保持する役割を持つ。もしかして卵黄の部分がひよこになると思っていませんか?卵黄の表面部に小さな白い斑点があり、これが胚盤である。受精卵の場合この胚盤がやがてひよこになる。卵黄や卵白は胚盤が成長するために必要な栄養となる。卵黄は卵が割れてひよこになった後も栄養として作用する。そして卵白にはもう一つ大事な働きがあり、それは細菌や雑菌から卵黄を守ることである。卵黄は卵の中心部に位置することで、卵白によって細菌類から守られているのである。

577.乾電池の話   2020年5月19日

 1868年にフランスのルクランシェが、現在の乾電池の原型となるものを発明した。正極に二酸化マンガンを、負極に亜鉛を用いて、電解液として塩化アンモニウム水溶液を使ったものである。ただ液体を使用していることから、使う上では制約があり不便であった。1888年にドイツのガスナーは、ルクランシェ電池の欠点を解消する新しい電池を開発した。正極の二酸化マンガンに炭素粉末を加え、塩化アンモニウム水溶液は石こう粉末を混ぜてペースト状にした。これで電池を横にしても液こぼれの心配はなくなった。ダイナマイトの発明を思い起こさせる。これが現在の「マンガン電池」である。現在市場において使われている乾電池には、「マンガン電池」と「アルカリ電池」とがあり主流は後者になっている。アルカリ電池は、電解液に水酸化カリウムを使用しており、これが強アルカリなので「アルカリ電池」と呼ばれる。アルカリ電池はマンガン電池に比べて約2倍長持ちする。ちなみに乾電池のサイズは、単一から単四がよくしられるが、実は単六型まである。2019.06.22

576.宇宙を旅する探査機   2020年5月18日

 42年前に打ち上げられた米国の探査機ボイジャー2号が「太陽圏」を脱出して、現在太陽系の外に向けて飛行中である。ボイジャーは1977年、惑星探査のため2号1号の順で打ち上げられた。太陽圏とは、太陽風が届く半径180億キロの空間をさす。ボイジャーは秒速15~17キロという高速で飛んでいるが、太陽系を脱出するのは3万年後になる。太陽系とは太陽の重力が及ぶ範囲を指す。太陽系外に向かう探査機には、未知の生命との遭遇に備えたものが搭載されている。2機のボイジャーに搭載された直径30センチのゴールデンレコードには、動物や鳥などの声、世界55か国の言語、クラシックやジャズ音楽、地球や動物の画像などが記録されている。再生のための針とカートリッジもある、つまりアナログである。実は1972年と1973年に打ち上げたパイオニア10号と11号が、最初に太陽系外に向かった探査機である。その機体には男女の裸の姿や太陽系を描いた金属板が装着されている。