佐藤光雄(技術士:機械、宮城県)
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 2018/03/09 (110 ヒット)

 英語で書かれた最も美しい文学作品といわれるシェイクスピアの数々の戯曲、中でも「ハムレット」は最高傑作とされ、数限りなく舞台で演じられまた映画化もされた。To be or not to be that is the question (生きるべきか死すべきかそれが問題だ)は、あまりにも有名なせりふである。作者のシェイクスピアについては、実在しなかった人物ではないかという説がある。自筆原稿も1行の日記も手紙も存在しないからである。別人が使っていたペンネームではないかといった説がある。明らかになっているのは、1564年イングランドに生まれ18歳で結婚、28歳で突然劇作家としてロンドンに現れる。その後「ロミオとジュリエット」をはじめ大当たりの戯曲を発表し続ける。日本でいえば徳川家康が幕府を開いたころである。43歳ころに引退して故郷に隠棲し1616年に52歳で死去する。400年以上前の作品は今も色あせることがない。


 

366.日本人とコミュニケーション

 お笑いコンビ「パックンマックン」で活躍するハーバード大学卒業のパトリック氏のことばで「なるほど」と思うものがあった。

(1)「コミュニケーション」とは、日本語の「共」の概念を含んでいるので、ことばをやり取りするだけではなく「やりとりの結果何かを共有する」という概念まで含んでいる。単に会話しただけでは「コミュニケーション」は成立しない。

(2)日本語ではことばを省略することが多い。「例の件よろしくね」と言われても、日本人は場の空気を読みすぎるので、「例の件とは何?」と聞きにくい。こうしたことが「和」をつくってきたが、正しく伝わらないこともある。

(3)日本人は他人に対して謝りすぎだ。人に話しかける言葉は「すみません…」から始まる。挨拶代わりに謝罪のことばを平気で使う。アメリカ人にはないこと。

(4)日本語には尊敬語や謙譲語といった敬語があって、相手に対してとてもやさしい言葉である。

 

367.街の本屋さん

 全国の「街の本屋さん」が減ってきている。全国の書店数は1万2500店余り、2000年に比べて4割以上も減った。ネットやスマホの全盛で「紙の本」離れが進み、出版物の売れ行きは落ち込んでいる。大規模書店はそれほどでないが、小さな書店は経営が厳しくなっている。店主は高齢化し引き継ぐ人もいない。国内出版物の販売額は1996年がピークで2兆6500億円、昨年はそれに比べて45%減であった。雑誌はピーク時に1兆5600億円だったが昨年はその半額以下になった。2000年に上陸したネット販売大手のアマゾンは、今や売上高日本一の書店になっている。そもそも本や雑誌の販売の仕組みは一般商品と異なる。出版社が指定した価格で売ることになっている。価格競争を避けて出版文化を守るためとされる。売れ残りは取次ぎや出版社に返品できる委託販売が基本である。

 

368.元素のでき方

 物質の根本材料である「元素」は、これまでに陽子の数が1個の水素から118個のオガネソンまで118種類が見つかっている。113番元素のニホニウムは理化学研究所で誕生した。宇宙誕生から1万分の1秒後に陽子や中性子が生まれた。約3分後には陽子と中性子が2個ずつ集まってヘリウムが誕生した。次にリチウムも生まれたがここでいったん停止し、約4億年後になって高温高圧の星の内部で、ヘリウムが核融合することで炭素が生まれ、こうした核融合と核崩壊などで酸素、窒素、ケイ素なども生まれた。26番目の鉄までの元素がそろった。だが星の中での核融合では「鉄」以上に進むことはない。鉄より重い元素は超新星爆発によってできたとする説が有力だが、実はよくわかっていない。43番、85番、そして93番以降の元素は、自然界に存在せず人工的につくられた。

 

369.富嶽三十六景

 霊峰富士は古くから信仰の対象とされ、多くの絵画にも取り上げられてきた。葛飾北斎の「富嶽三十六景」は72歳にして制作された。天保2~4年頃に北斎は、「富嶽三十六景」46枚を永寿堂西村屋から出版し、これが大ヒットになって「風景版画」のジャンルが誕生した。一方で保永堂は歌川広重に東海道五十三次を描かせて出版した。「富嶽三十六景」は、お江戸日本橋から始まって46枚目の諸人登山まであり、特に有名なのが「神奈川沖浪裏」「山下白雨」「凱風快晴」であろう。三十六景のはずだが、好評のため続編として10枚が追加された。北斎が実際に現地をすべて訪れて写生したかどうかは疑問があるが、頭の中で構成された風景は見事で、図柄の面白さを追求している。「神奈川沖浪裏」では、藍色の濃淡と白のみで大波を表しかぎ爪のような波頭を創り出している。作曲家ドビュッシーはこの図を見て管弦楽曲「海」を作曲した。北斎はさらに75歳にして「絵本:富嶽百景」を出版している。

 

370.葛飾北斎、3つのGreat Wave

 NHKテレビ「歴史秘話ヒストリア」を見た。今年はロンドンの大英博物館で葛飾北斎展が開かれ、そこでの注目は「Great Wave」である。これは有名な富嶽三十六景の神奈川沖浪裏に描かれた波頭をさす。北斎は1760年江戸に生まれる。37歳で神社に奉納されていた西洋画を見る、そこには富士山と波が描かれていたという。北斎が50歳ころに描いた波の絵は、以前に比べて幾分迫力が増していた。1831年72歳で富嶽三十六景を描く。その中で神奈川沖浪裏に「第一のGreat Wave」を完成させた。北斎はその後も人々が驚くような意欲的作品を次々と発表する。そして「富嶽百景」では「海上の不二」において、砕け散る波がしらが鳥に姿を変えて飛んでいくかのような新しい「第二のGreat Wave」を完成させた。80歳を超えてからは信州の小布施を訪れて、ここで「最後のGreat Wave」を完成させる。それが上町祭屋台の天井に描かれた「男浪」「女浪」である。この2枚は今回初めて小布施を離れて大英博物館に運ばれた。私が小布施に行ったときちょうど貸出し中になっていた。


 2018/03/06 (116 ヒット)

 NHKテレビ「ブラタモリ」で十和田湖と奥入瀬を訪ねていた。十和田湖は日本では唯一の二重カルデラ湖であるという。火山活動でマグマ上部の山が沈み込むとそこに穴(凹部)ができ、その凹部に水がたまってカルデラ湖ができる。十和田湖の形は、略四角形の湖に二つの半島が飛び出ているが、湖を構成する大きなカルデラが先にできて、その後二つの半島に挟まれたエリアに小さいカルデラができたのである。この小さいカルデラの部分は中湖と呼ばれる。十和田湖は日本で3番目に深い湖だが、その深い部分は新しくできた小さいカルデラの中心部で320m以上という。十和田湖に流れ込む大きな川はない。一方で十和田湖から流れ出る唯一の川が「奥入瀬渓流」である。緑豊かな森の中を流れる美しい渓流で、たくさんの滝がある。V字形の谷ではなくU字形の谷の一部を川が流れる。そこには300種類ものコケが生息する。


 2018/03/03 (104 ヒット)

 私は昔、草しか食べていない牛や馬がどうしてあれほど大きな体を得ることができるのか、非常に不思議だった。かつての草食巨大恐竜も同じである。草にそれほど十分な栄養があるとは思えない。植物繊維の主成分はセルロースである。これは地球上で最も豊富に存在する炭水化物なので、人間もこれをそのまま食料にできれば食糧危機を回避できる。しかし人間はそれができない。牛、馬、ヒツジなどの草食動物はそれができるのだ。セルロースを直接分解できる生物は非常に少ない。大半の草食動物も、実は植物を自らの力で栄養素にすることはできない。そのため植物繊維を分解して栄養素に変えてくれる微生物を飼う「微生物培養タンク」を有している。例えば牛の場合4つの胃の中の第一と第二の胃で微生物を飼っている。この微生物を育てて、これを消化吸収することで栄養を得ているのである。だから正確には、「草食動物」ではなく「微生物食動物」なのである。


 2018/03/02 (138 ヒット)

 お米の成分のほとんどは炭水化物(でんぷん)である。常温では水に浸けておいても、お米に水が入り込むことができずそのまま食べることはできない。しかしお米に水を加えて加熱処理をする(炊飯)ことで、加水分解が行われて消化しやすい状態になる。この消化しやすいアルファ化状態を、急速乾燥によって固定化したものが「アルファ化米」である。つまり炊き上げたごはんに熱風を当てて乾燥させたものといえる。こうすれば常温で長期保存ができ、水またはお湯を加えるだけで実食可能になる。白米以外に五目ご飯、赤飯、ピラフなどもある。15℃の水で60分、お湯なら15分で加食ごはんになる。第二次世界大戦時、軍から「火力を使わず炊飯もせずに食べられるごはん」を求められた大阪大学産業科学研究所が、アルファ化米を開発した(尾西食品)。1995年の阪神淡路大震災時に活用され、災害時の保存食として注目されるようになった。


 2018/03/01 (120 ヒット)

 北アメリカ大陸では、コロンブスの到達よりもはるか昔から先住民が「原油」を利用していた。アメリカのドレイクが1859年に世界で初めて、実際の石油掘削に成功した。企業家がドレイクをやとって照明用の燃料を得ようとしたのである。ここから石油を利用する時代が始まった。最初の用途は単なる照明用であった。しかし今では、私たちの身の回りの多くのものが石油を原料にして作られている。海外からタンカーで運ばれてきた原油は、精製工場で精製されて「LPガス」「ナフサ」「ジェット燃料油」「灯油」「軽油」「重油」「その他」に、沸点の違いを利用して分けられる。この中で「ナフサ」と呼ばれるものからは、各種のプラスチックや合成ゴムやガソリンなどがつくられる。プラスチックは現在100以上もの種類があり、生産量が多い四大プラスチックが「ポリエチレン」「ポリスチレン」「ポリ塩化ビニル」「ポリプロピレン」である。現在では医薬品の多くも石油からつくられている。


 2018/02/25 (157 ヒット)

 私たちは世界地図を見てそれが正確なものと思っている。しかしそもそも球体である地球の表面を二次元平面で表すことは不可能である。1569年にベルギー出身の地理学者であるメルカトルが出版した世界地図に使われた「地図投影法」が「メルカトル図法」である。地図投影法には、方位図法、円筒図法、円すい図法などがあり、メルカトル図法は円筒図法の一つである。450年たった今でも使われている。メルカトル図法は「正角図法」とも呼ばれ、角度が正確に描かれる。経線と緯線が常に直角に交わり、どの位置でも東西南北の方向が変わらない。そのためこの地図は、海上を航海する際にとても役立つ。ただメルカトル図法では、赤道から離れた地域は拡大されて描かれてしまう。南極や北極のあたりは事実上表現できない。


 2018/02/25 (126 ヒット)

 世界中に大ブームを巻き起こした「ルービックキューブ」は懐かしい。日本でも昭和55年に発売され、1980円と当時にしては高価だったにもかかわらず、10か月で350万個を売り上げた。カラフルなキューブをカチャカチャ鳴らしながら、一心不乱に回転させている姿は、当時の学校や家庭や会社などでよく見られた光景だった。ルービックキューブは、26個のサブキューブが6面体を構成し、ひとつの面に対して縦横上下の3方向に自由に回転できる立体パズルである。各面が赤、青、白、オレンジ、黄、緑と色分けされ、これを6面ともそろえられたら完成となる。しかし単純なのになかなか完成できない。ルービックキューブを考案したのはハンガリーの発明家建築家であるエルノールービック氏である。33歳で考案した。現在もいろいろな発展形が販売されている。


 2018/02/20 (136 ヒット)

 人の腸内には、1000種類以上の腸内細菌が約500兆~1000兆個も存在し、その重さは約1.5キロにもなる。これらの細菌は、病気を防ぐ働きもしている。アトピー性皮膚炎、花粉症、小麦アレルギー、1型糖尿病など、人の免疫系にかかわる病気や胃腸疾患が急増している。これらは21世紀病といわれる。実は抗生物質や抗菌剤などの過度な使用によって、腸内の共生細菌が減ったりバランスをくずしたりすることも、その原因であることがわかってきた。現代人は共生細菌をも悪者扱いして、過度な清潔を求めすぎてきた。赤ちゃんは胎児の間は無菌状態だが、産道を通るときに最近のシャワーを浴びる。そして母乳保育は赤ちゃんに微生物との健全な関係を構築させ、正常な免疫系を発達させるために重要なのだ。細菌たちとの共生は、人間の健康を保つための手段のひとつだ。


 2018/02/14 (141 ヒット)

 アドリア海に浮かぶ水の都「ヴェネツィア」は、「水の都ベニス」とも呼ばれ、かつては海上交通で栄えて1000年も栄えたひとつの国であった。今は世界中からたくさんの観光客が訪れる。全長3キロの運河を中心にして、無数の小さい運河が網の目のように広がっている。「ヴェネツィア」は120の小さな島からなり、それらを483の橋がつないでいる。大小150もの運河を使った交通手段はゴンドラである。アドリア海の海岸に川が運んだ土砂によって、「ラグーナ」と呼ばれる潟がつくられ、そこに侵略を逃れた人々が5世紀頃に住むようになった。水深は平均1.5mでところどころに湿地がある。このラグーナに長さ10mもの丸太の杭を大量に打ち込んで、その上に建物そして街がつくられた。サンマルコ広場のシンボルは高さ98mにもなる鐘楼であるが、これは1902年に突然崩壊した。原因は軟弱地盤にあった。「ヴェネツィア」は今も洪水や地盤沈下に悩む。周辺では湿地や干潟が消失しつつある。


 2018/02/11 (144 ヒット)

 乾麺では、歴史的には「そうめん」が古く中国の「索餅(さくへい)」が起源とされ、奈良時代に日本に伝わった。小麦粉と米粉を練って縄のようにねじったものだった。やがて小麦粉に塩と水を加えて練り、手で延ばす現在の形になった。室町時代になって「そうめん」と呼ばれ始めた。「ひやむぎ」の起源は室町時代の「切り麦」で、小麦粉を練って延ばし包丁で切ってつくった。冷やしたものを「ひやむぎ」と呼んだ。製法や太さは「そば」に近く、江戸時代に広まった。小麦粉が原料の国内産乾麺に占めるシェアでは、「ひやむぎ」17%、「そうめん」50%と、明らかに「そうめん」が多い。ちなみに宮城県の「うーめん」は長さが9センチと短いそうめんである。JASでは、太さの直径1.3ミリ未満が「そうめん」、1.3ミリ以上1.7ミリ未満が「ひやむぎ」、1.7ミリ以上が「うどん」となっている。有名な「そうめん」としては、兵庫県の「揖保乃糸」や奈良県の「三輪そうめん」がある。


 2018/02/08 (137 ヒット)

 外国人居留地があった横浜で明治5年に発行された料理書に、カレーのレシピが載っていてこれが日本にカレーが伝わった最初とされる。旧陸海軍でカレーが食事に採用され、軍隊でたくさんの人がその味を知り作り方を教わった。その人たちが退役して全国各地に戻り、家庭でもカレーを作るようになって国民食のカレーに育っていった。明治時代にはカレーうどんも誕生し、昭和初期にカレーパンも登場する。1950年代に現在のような板状カレールーが登場して、1960年代には粉末のカレー粉ではなく固形ルーが一般的になった。1968年に大塚食品が世界で初めてレトルトパウチに詰められたカレー「ボンカレー」を発売した。今では各地でご当地レトルトカレーが販売され人気になっている。カレー料理では、大阪から西ではジャガイモはメークイン、牛肉を使いラッキョウを添える。一方名古屋から東ではジャガイモは男爵イモ、豚肉を使い福神漬けを添えるといった地域差がある。


 2018/02/04 (155 ヒット)

 5億4100万年前から現在までは、「古生代」「中生代」「新生代」の3つに分けられる。中生代は、三畳紀、ジュラ紀、白亜紀から成り、爬虫類、恐竜、鳥類の時代とされる。三畳紀に爬虫類の中から恐竜が出現し、白亜紀に小型肉食恐竜から鳥類が進化した。2億年近く続いた中生代は、6600万年前に終わる。この時を境にして恐竜がいなくなったのだ。アンモナイトも絶滅し生態系の過半数の生物が絶滅したのである。その最大の原因は、隕石の衝突とされている。これによって地球環境が激変したことによる。体の大きな生物(特に恐竜など)は生きていけなくなった。6600万年前に、ユカタン半島のあたりに直径10キロと想定される隕石が衝突した。6600万年前に堆積した各地の地層において、イリジウムの含有量が急激に増加していたことがわかっている。イリジウムは普通、隕石などによって地球にもたらされることの多い元素である。1990年代に、ユカタン半島の地下2キロの地中に、直径180キロの巨大クレーターがあることが明らかにされた。


 2018/02/01 (146 ヒット)

 日本のロケット打上げといえば「種子島」である。先日テレビで、その打上げまでをやっていた。種子島の発射場には、愛知県飛島村にある三菱重工の工場から、ロケット主要部分が船で二日間かけて運ばれる。船は種子島の島間港に着き、そこで2台の大型クレーンにより陸揚げされる。コンテナは長さが36メートルもあり、陸揚げ作業だけで2時間を要する。その大きなコンテナは、大型トレーラーに載せられ、夜の10時に出発して陸路を種子島宇宙センターまで18キロ運搬される。なにせ一般道路を走るが超大型のため、その速度は人の歩行速度並みでカーブを曲がるのは大変。ロケットは3つに分割されており、その第一段部分が長さ30mで、これに第二段と先端部分を、大型組立棟で合体する。人工衛星は先端部分のフェアリングに収納される。組立てられたロケットは、直立状態のまま組立棟から出て発射台までの500mを20分かけてゆっくりと移動する。


 2018/01/29 (154 ヒット)

 素数とは、2以上の整数のうち1と自分自身でしか割ることができない数のことである。素数が無限に存在することは、古代ギリシャの数学者ユークリッドによって証明されている。だが素数だけをつくる数式は未だ見つかっていない。スイスの数学者オイラーは、二次式「n2-n+41」を発見したが、nが41以上になると素数以外の数も出てくるので万能ではない。素数の特性を有効利用しているのが、インターネットなどで情報を暗号化する技術である。そこでは「公開鍵」と「秘密鍵」が使われる。公開鍵はmとnの2つの整数からなる。利用者のコンピューターからは暗証番号Zをm乗してnで割ったときの余りXを送信する。悪意を持った第三者がmとnとXを入手しても、そこからZを導き出すのは不可能に近い。そして秘密鍵は2つの大きな素数pとqからなり、p×q=nの関係にある。nがわかってもpとqを導き出すのは不可能に近い。受信側では秘密鍵pとqがわかっていれば、容易に暗証番号Zを計算することができる。


 2018/01/25 (159 ヒット)

 かつて仙台市内にも市電が走っていた。大正15(1926)年、木造4輪の市電が大町1丁目~仙台駅前~荒町間の3.3キロで営業を開始した。初めから市営であった。開業当時の運賃は5銭。その後、長町、八幡町、北仙台などへ延長されていった。仙台市電の最盛期は昭和30年代で、89両もの車両で一日平均10万人を運んだという。しかし路線は一般道路と重なっていたため、モータリゼーションによる道路の混雑から、市電の定時制が保てなくなった。利用者は減少していった。1967年にはワンマン化―を導入。しかし昭和51(1976)年、時代の流れに勝てずに仙台市電はついに幕を閉じた。この仙台市電が秋保電鉄とも接続していた時期がある。秋保電鉄とは、仙台の長町と秋保温泉を結んでいた鉄道であったが、1961年に廃止になっている。なお仙台地下鉄富沢車両基地には「仙台市電保存館」があり、かつてを懐かしむことができる。


 2018/01/22 (159 ヒット)

 アトピーは、肌がかゆくてかきむしってしまう病気である。生後4か月から6歳では12%前後、20~30代でも9%前後の人が苦しんでいる。日本のアトピー患者数は45万6000人。アメリカの患者数は約1400万人とされる。日本で「アトピー」という言葉が登場したのは1962年だが、アトピーの歴史は古く古代ローマ帝国の皇帝が、同じような症状に悩まされていた記録がある。アトピーの原因は、ダニ、ホコリ、気候、食事、ストレス、大気汚染などさまざまであり、発症すると他のアレルギーも現れやすくなる。アトピーを含め、食物アレルギーや花粉症などのアレルギーに悩むのは、今や日本人のほぼ2人に1人である。アレルギーは「文明病」とも言われる。アトピーの原因の一つが乾燥である。都市化で緑が減り、道路は舗装されビルが立ち並ぶと空気は乾燥する。アメリカでは「デュピルマブ」というアトピーの新薬が今春から治療に使われ、効果をあげているらしい。


 2018/01/20 (156 ヒット)

 昔々、人類は最初、自分に足りないものは「物々交換」で補っていた。次に用いられたのは「物品貨幣」である。例えば中国では、希少価値の高い子安貝の貝殻が物品貨幣として使われていた。紀元前7世紀頃現在のトルコにあったリデイアという王国で、世界最古の金属貨幣が誕生した。この硬貨には金と銀の合金が用いられた。銀が豊富なギリシャで紀元前5~6世紀、都市国家ごとに銀貨がつくられた。同時に金融業者が登場する。共和制ローマ時代にもさまざまな金貨や銀貨がつくられた。17世紀のイギリスで、金を預かっていた「金匠」たちが「金匠手形」を発行し、今でいう銀行が誕生する。ストックホルム銀行は、「金匠手形」を発展させて1661年に、ヨーロッパで初めて国家が認めた「紙幣」を発行した。「紙幣」は、金貨や銀貨と異なりそれ自体に価値はない。だが国家が価値を保証し人々がそれを信じることで、貨幣として成立して今に至る。


 2018/01/16 (138 ヒット)

 最近の発掘で、1万2600年前に日本で「うるしの木」があったことがわかった。7200年前には日本各地で漆器がつくられていた。縄文時代には貴重な「赤うるし」も使われている。うるしに混ぜた赤は「べんがら」と「水銀末」の2種であった。飛鳥奈良時代に、大陸から新しい「うるし工芸」の技術が入ってきた。その一つが「螺鈿(らでん)」である。これは貝殻の真珠層を切り取って貼り付ける技術。もう一つは仏像をつくる「乾漆(かんしつ)」という技法である。かの有名な阿修羅像はこの方法でつくられた。平安時代に発展したのが「蒔絵(まきえ)」の技術である。うるしの上に金粉や銀粉を蒔く技法である。こうしたうるしを用いる技術は中国から伝わったが、日本において大きく発展進化した。そうした「うるし製品」はたくさんヨーロッパに輸出され、「JAPAN」と呼ばれた。

 


 2018/01/12 (134 ヒット)

 みなさんは蚊帳(かや)をご存じだろうか。私が子供のころは、夏になると寝室で布団は蚊帳の内部に敷いたものである。蚊帳は、緑色の糸を細かい網目状に編んで作られた四角い室内用テントのようなものである。最近では、蚊も少なくなったが、昔は田舎ではたくさんの蚊がいたものだ。蚊帳は平安時代からあるそうだが、絹や木綿を使った高価なものであった。室町時代には比較的安価な麻糸で作られるようになり、江戸時代になると近江商人が大規模な蚊帳生産を行って、広く使われるようになった。それでも当時の庶民にとってはぜいたく品で、代わりの方法として「蚊遣火」が使われた。カヤの木やスギ、マツなどの葉やヨモギの葉を燃やした煙で蚊を追い払う方法である。我々が使っている「蚊取り線香」が登場するのは、明治20年のことである。そういえば小さいころ、雷が鳴ると蚊帳の中に入ったものである。

 


 2018/01/09 (172 ヒット)

 天然ダイヤモンドは、地球の深部で6万気圧2000℃にもなる高温高圧下において形成されるといわれる。それが地表近くに移動してダイヤモンドを含む砂れきが流出堆積したのがダイヤモンド鉱床である。歴史的にはインドで古くから採掘された。ダイヤモンドは、カット研磨されることでその輝きを増す。15世紀にはヨーロッパでダイヤモンドのカットが行われていた。17世紀には24の三角形の面が組み合わされる「ローズカット」が誕生する。1919年ベルギーのマーセルにより、光学的に計算され最もダイヤモンドが輝くカットが発表された。それは角度もすべて正確に計算された58面体の「ブリリアンカット」となった。現在主流のカットは「ラウンドブリリアンカット」である。他に「オーバルブリリアンカット」などもある。カット作業は、ダイヤモンド粉末を表面に塗布した円盤を回転させて、そこにダイヤモンド原石を正確に押し付けることで行われる。

 


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