広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県)

2013/05/27 (467 ヒット)

 円周率が3.14であることから、本日3月14日は「円周率の日」また「数学の日」とされています。紀元前2000年頃とされる粘土板から、古代バビロ ニアでは円周率を3+1/7と表現していることがわかっています。円周率は、歴史上古くから人類にとって深い興味の対象だったわけです。
 ご存知の通り、円周率の値は無理数であるため、循環することもなく無限に長い数値が小数点以下に並ぶことになります。17世紀になって無限級数を用いて計算することができるようになり、ニュートンも16桁まで計算で求めました。
  1946年に世界初のコンピューターENIACを用いて、2037桁までの数値が計算されました。これ以降は電子計算機の進歩が後押しします。1958年 に1万桁まで、1967年に50万桁まで、1973年に100万桁まで、1989年に10億桁まで求められました。2002年に1兆桁を超えて2009年 には2兆桁を超えました。
 ところでスーパーコンピューターまで使って、これほどの数値を求めてどんな意味があるのだろうと思いませんか?実はこの数字列は乱数として高いレベルにあることが知られ、乱数に利用されているそうです。
 それでもやはり結局は、円周率の値は数学者の夢なのかもしれません。

 

広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記224


2013/05/23 (439 ヒット)

 温度が高いということは物質の分子運動が激しいことを示しています。正確に言えば温度が高いほうが速度(運動エネルギー)の大きな分子の存在確率が多く なると言うことであり、統計学の考え方が入るようです。温度が高いところから温度が低いところへ熱が移動して、同じ温度になったらそこで平衡状態になりま す。
 1742年にセルシウスは、1気圧下で水の凝固点を0、水の沸点を100としてこの間を100等分する温度t(単位℃)を定めました。通常私たちが「温度」として使っているのは、こちらですね。
 1848年にケルビンは、物質の特性に依存しない絶対温度T(単位K)を提示しました。
 ここでT=t+273.15とされます。温度には下限が存在することがわかっており、それが「絶対零度」です。これは物体の熱運動が最小になる(ゼロではない)温度とされています。一方、温度に上限があるかどうかは明らかになっていません。
  この宇宙に自然にある最低温度は約2.7Kで、南極の極寒は約180Kだそうです。しかし人類の最新技術では、100億分の数Kという絶対零度に近い温度 を作出せるといいます。一方、太陽の中心部は約1500万Kですが、人類が人工的に作り出した最高温度は約4兆Kだそうです。人類の力は驚きです。

 

広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記223


2013/05/21 (446 ヒット)

 歴史的に見て音楽を記録・再生する技術のスタートはオルゴールであったと思いま す。最初はシリンダー式オルゴールでスタートしましたが、やがてディスク型オル ゴールが登場して、ディスクの交換によっていろいろな音楽を楽しめるようになり ました。
  オルゴールからさらに発展したものが、自動演奏装置です。これはいろいろな楽器 を、記録紙に設けられた孔に合わせて自動演奏するという大掛かりな装置です。 1857年フランスのスコットが、回転するシリンダー表面に音の振動を記録すること に成功しました。そして1877年になってついに、エジソンが実用的なシリンダー式 のレコードを発明します。これが「フォノグラフ」です。
  1887年にベルリーナが円盤レコードを発明しました。まさにオルゴールと同じ流れですね。円盤レコードは大量生産が可能なことから、レコード(SPレ コード)と蓄音機が広く普及することになりました。1948年には大盤のLPレコードも登場します。日本では1959年からレコード大賞が始まりました が、今ではこの名称も時代に合わなくなりました。
レコード盤もレコードプレーヤーもすっかり過去のものになってしまいました。それは1980年代から進んだデジタル化によって、1982年にコンパクト ディスクCDが発売されたことに端を発します。そして1988年には、CDの売り上げがレコード売り上げを追い抜きました。今では音楽はデータ圧縮されて インターネットで配信されるまでになっています。

 

広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記221


2013/05/16 (530 ヒット)

 昔ならどこの家にも必ず1台はあったミシンですが、最近はあまり見かけなくなりました。今は自宅で衣類を縫ったり補修することもなくなったのでしょう。私の実家には今も、母が使っていた古い足踏み式のミシンが残されています。
 日本に商業ベースでミシンがもたらされたのは1868年です。それは手回しはずみ車方式の輸入品でした。次に足踏み式ができました。これは足踏み板の上下運動をクランクを介してホイールの回転に変換する方式で、両手が使えるという優れものでした。
 1901年にアメリカのシンガー社が日本に進出して市場を拡大し、やがて市場を独占しました。1921年に日本でパイン裁縫機械製作所が創業して、そこの小瀬は市場シェア80%のシンガー社に国産で挑戦することを誓います。
 努力の結果、小瀬はついに1929年に家庭用標準型で初の国産ミシンを開発しました。しかし販売は容易ではありませんでした。この会社が後の「蛇の目ミシン工業」です。蛇の目は1979年には世界初のマイコン制御ミシンを発売し、多彩な刺繍機能を搭載しました。
 現在家庭用ミシンでシェア世界一を誇るのはこの「蛇の目ミシン工業」であり、工業用ミシンでシェア世界一は日本のJUKIですから、日本の精密機械技術がミシンでは世界一になっているといえます。

 

広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記220


2013/05/13 (690 ヒット)

 人類が最初にガラスを使ったのは非常に古く、紀元前3000年頃のメソポタミア文明やエジプト文明とされています。そして古代ローマ時代には窓ガラスも使われていました。
 日本で初めて住宅に窓ガラスを使ったのは、江戸時代に伊達政宗の孫の伊達綱宗の江戸屋敷とされており、もちろん輸入品でした。明治時代になって多数の建築物で窓ガラスが必要とされましたが、ほとんどは輸入品でした。国産化に挑戦して何度も失敗しています。
 当時の製造法は「手吹き円筒法」というもので息を吹いて円筒形のガラスを作りこれを縦に割って平らに広げるというものでした。大変手間と費用がかかる方法でした。そういえば古い建築物を見学すると、その窓ガラスはゆがんでいるのがわかります。
 1964年にイギリスで画期的な板ガラスの製造方法が発明されました。それが「フロート法」と呼ばれるもので、現在もほとんど全ての板ガラスはこの方法によって製造されています。この方法で、初めて平らでゆがみのない窓ガラスの製造が可能になったのです。
 「フロート法」は、溶かしたガラス素地を溶融スズの上に浮かべることで重力を利用して平滑な板ガラスを製造するものです。徐々に冷やしながら成形していきますが、その製造ラインは幅4mのガラス板を長さ200m以上もかけて徐冷するものです。

 

広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記219


2013/05/09 (497 ヒット)

 コンピューターに保存した設計図(三次元データ)から、簡単な操作で立体製品を作り出すことができる装置が「3Dプリンター」と呼ばれるものです。複雑な形状のものや中空のものでも造形することができるのが特徴です。
 1980年代に実用化が始まったのが「光造形」と呼ばれるもので、光を当てることで硬化する液体樹脂(紫外線硬化樹脂等)をバスタブに入れ、レーザー光を走査させて層状に硬化させながら、立体物を形成するものです。
 その後「積層型」「粉末型」「インクジェット型」などが開発され、デザイン事務所が作る試作品や工場生産用部品製作や医療現場での歯型や人工骨などに応用されてきています。
「積 層型」は、熱を使わず溶かした樹脂をサポート樹脂の上にノズルで吹き付け、冷やして固める方法です。「粉末型」は、粉末状の細かい樹脂などの材料とのりを 噴射しながら固めていく方法です。「インクジェット型」は、樹脂をノズルから吐出させて紫外線で硬化させることを層状に繰り返す方法です。
 但し3Dプリンターで原料にできる材質は限られているというのが現状です。装置はかつては数百万円以上と高価でしたが、近年では精度が粗いものなら10万円ほどで入手可能になっています。
 その結果、人物に光を当てて三次元で計測し、3Dプリンターで人体のフィギュアを作るような趣味的用途にも使われるようになっているそうです。

 

広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記218


2013/05/07 (587 ヒット)

 私たちの周りには肉眼では見えない小さな生物がたくさんいます。それらは微生物と呼ばれ、特に「細菌」「古細菌」「真菌」と呼ばれる菌類は、私たちに とってあるものは有益に作用し、あるものは危険な存在です。ここでウイルスは生物とみなされないので除外します。ちなみに私たちの腸内にも、500種類 100兆個もの細菌が住んでいるそうです。
 「細菌」は大きさが1000分の1ミリ前後で、約8000種類が見つかっています。有用なものとしては「乳酸菌」や「納豆菌」などがあり、危険なものとしては「コレラ菌」「ペスト菌」などがあります。分裂を繰り返しながら仲間を増やしていきます。
  「真菌」には「酵母」や「コウジカビ」などがあり約10万種類が見つかっています。水虫は白せん菌という真菌です。1929年に青カビから抗生物質ペニシ リンができたように、有用なものが潜んでいる可能性があり、世界中で医薬品や健康食品の開発に役立つ新種の微生物探しが進められています。
かつては欧米の人たちが、南米やアフリカなどで各種の細菌を見つけて自国に持ち帰りましたが、今では現地国の許可なしには持ち出せないように保護されています。

 

広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記217


2013/04/30 (514 ヒット)

 この世界は実は電波だらけです。電波は目に見えませんが可視光の仲間であり、その速度は光と同じ秒速30万キロです。一般に、1秒間に3000から3兆 回振動する電磁波を「電波」と呼んでいます。多くのモバイル通信に使われているのは300M~3000MHzの極超短波と呼ばれるものです。この周波数の 電波はアンテナを小さくすることができますが、あまり遠くまで届きません。そこで半径2~5キロ範囲をカバーする多数の中継基地局を設置しているのです。
 周波数の高い電波ほど、送れる情報量が多くなりますが大気中で散乱されやすくなり、逆に周波数の低い電波では遠くまで届きやすいが情報量が少なくなるという特徴があります。
  ケータイ電話に割り振られている電波帯は、「700M~900MHz」と「1.5GHz」と「1.7GHz」と「1.9/2GHz」の4つがあり、それぞ れが更に業者別に割り振られています。プラチナバンドというのは、「700~900MHz」を使って山やビルを回りこみやすくしているためつながりやすい と言われます。
 ケータイ通信の方法では第一世代がFDMA方式、第二世代がTDMA方式、第三世代がCDMA方式、そして第3.9世代がOFDMA方式となり、進化してきています。OFDMA方式が今宣伝中の「LTE」と呼ばれるものです。
ちなみにデジタルテレビは「470M~770MHz」を使用しており、BS放送は12GHz付近を使っています。

 

広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記216


2013/04/25 (476 ヒット)

 紙は、紀元105年に中国で製法が体系化されて以来何世紀にもわたり、情報を記録し保管する機能と、記録された内容を表示する機能の両方を、単独で担っ てきた優れものです。実際、ほんの20年ほど前まで社内では、業務報告書も図面もファイルとして紙データで保管されていました。しかし情報を大量に記録す るには大量の紙が必要になり、大量の保管スペースが必要になるということで、情報量が増大するにつれてこうした紙の欠点が明らかになってきました。
 そこで紙の持っていた「情報の記録」という機能は、どんどん電子メディアに置き換わってきました。情報の記録・保管さらに検索性に関しては、明らかに電子メディアの方が優れているのです。
  電子メディアの場合には、情報を記録・保管する機能と保管された情報を表示する機能が分離されているという特徴があり、それゆえに記録機能自体を人が認識 できる必要がないので、どこまでも高密度化ができるという点に特徴があります。しかし情報を表示するためには何らかの装置を必要とします。
 電子メディアが増大していますが、国内で「紙」の生産量はほぼ横ばいにあり、極端に使用量が減ったわけではありません。「紙」と「人」の間には「読む」という行為しか存在しませんから、紙ほど人に優しい情報メディアはないと思えるのです。

 

広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記198


2013/04/22 (514 ヒット)

 人類が火を利用することはおよそ150万年前から行われていたとされます。そして木と木をこすり合わせることや石同士を打ちつけるという方法で発火させる技術を生み出しました。発火方法を大別すると「摩擦法」「打撃法」「圧縮法」「光学法」「電気法」になります。
  マッチの起源は、1827年にイギリスの科学者ジョンウォーカーが発明した「摩擦マッチ」であるとされています。しかしこれは普及せず、1831年になっ て頭薬に黄リンを用いたものが広まりました。黄リンは自然発火事故が起こりやすかったので、次に赤リンマッチが作られました。1852年にスウェーデン で、箱側面の摩擦面とこすらないと発火しない「安全マッチ」が発明されました。これは、頭薬中の塩素酸カリとヤスリ側面の赤リンが摩擦することで赤リンが 細かな発火を起こし、頭薬の硫黄に燃え移るというしくみです。
 日本でマッチが普及するのは明治維新以後であり、金沢藩藩士の清水誠がマッチ製造 法を研究してマッチ工場を誕生させて生産を開始したのが国産最初です。現在姫路地域が国内シェアの8割を生産しています。なお軸木には火が燃えやすいアス ペンという材料が用いられており、中国などから輸入されています。


広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記214


2013/04/18 (505 ヒット)

 最新旅客機ボーイング787が、バッテリーに関するトラブルを連続的に発生させて、現在は運航停止状態になっています。
 787ドリームライナーは、アメリカのボーイング社が開発した最新鋭機であり、座席数が約250の中型機です。全日空が2011年10月に世界で初めて営業運転に使用を開始しました。
 787の機体は主に炭素繊維強化プラスチックで軽量化をはかっており、空力特性改善やエンジン性能向上などもあって、燃費がB767よりも2割向上したとされます。最大航続距離もB767より4割延びて、日本から片道1万キロのニューヨークに直行できます。
 部品全体の35%は日本製とされ、今回問題になっているバッテリーも、GSユアサ製のリチウムイオン電池です。主翼は三菱重工業が製造しており、B787に使用される炭素繊維は全て東レが製造しています。エンジンはロールスロイス社製とGE社製が使えるそうです。
 B787は世界で約50機が飛んでおり、全日空が17機、日本航空が7機と日本の2社だけで半分を飛ばしています。今後の主力機と期待されていますが、今回のトラブルが大きなブレーキになっています。全日空では既に66機を発注しているそうです。

 

広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記213


2013/04/15 (494 ヒット)

 通常感じていませんが、生物が生きていくために光は欠かせない存在です。17世紀後半になってニュートンが、プリズムとスペクトルの研究から、光には実はさまざまな色の光があり白色光はそれらが重なりあったものであることを発見しました。
 またニュートンは「光は粒子である」という説を発表しました。しかしホイヘンスは1690年に「光は波動である」という説を発表したのです。現代では光は粒子と波動の両方の性質を持つとされています。
 19世紀中ごろになって、ついにマクスウエルが「電磁波理論」を完成させ、光は電磁波の一種であることを証明しました。1888年には光電効果が発見されて、アインシュタインは光量子仮説を提唱します。
  もともと光に色がついているわけではなく、各波長に応じて人間の脳が青とか赤とかの色を感知しているに過ぎません。色は光の波長に対応した人間特有の感覚 に基づく量です。物体は高温になると光を発します。その発光スペクトル分布は温度によって異なりますが、物質の種類には依存しません。刀鍛冶が色によって 温度を判断できるのはこのためです。
 数1000度という高温の物質からは可視光線が放出されます。白熱電球はこれを利用したものです。原子において外側にある電子が内側に移動すると、光を発します。

 

広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記212


2013/04/11 (487 ヒット)

 ノーベル賞を受賞した山中博士の下で、iPS細胞を作り出したのが高橋博士です。2005年の時点で山中グループは10万個もある(この当時)と言われ た遺伝子の中から、この遺伝子を入れたらiPS細胞ができるかもしれないという候補を、100個程度まで絞り込んでいました。
 当初はとにかく 100個の遺伝子全部をしらみつぶしに1個ずつ試してみようと思ってスタートしたといいます。高橋博士は特に可能性が高そうな24個を選び、それぞれを1 個ずつ入れた培養皿を作ったのですが、そのときついでに24個の遺伝子全部を入れたプレートを1個余分に作ったのだそうです。
 すると2週間後に、ついでに作った24個全部を入れた培養皿だけが、もこもこと細胞が増えているのが見えたのです。そこで次に1つずつ減らす実験をした結果、初期化に必要な4個の遺伝子を突き止めました。
しかし当初は誰にも信じてもらえなかったといいます。それはiPS細胞を作る方法が研究者たちが想像していた複雑なプロセスではなく、たった4個の遺伝子を入れるだけという簡単な方法だったからです。
 こうして2007年11月山中博士はヒトのiPS細胞を作製したと論文を発表しました。全く同じ日にトムソン博士も論文を発表したのでした。

 

広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記211


2013/04/08 (472 ヒット)

 牛は人類の歴史の中で、常に身近な動物として存在しました。紀元前5000年頃、ヨーロッパではすでに牛を飼い慣らし家畜として利用することが行われて いました。不思議なのは、草しか食べない牛が、なぜあのようなタンパク質の巨体をつくれるのかということです。その秘密は牛の胃袋にありました。植物を構 成しているセルロースを人間は分解できませんが、牛はこれを分解する発酵工場を自分の胃の内部に持っているのです。牛には胃が4つあります。
 特に大きな第一胃は、微生物に最適な状態のまるで発酵タンクになっています。牛の胃には、セルロースを分解して栄養とする微生物が牛と共生関係を結んでいて、牛は微生物に生息環境と植物体を提供するかわりに、微生物の分解物を利用してタンパク質を作っているのです。
 牛は自然界に適応していくために独自の胃を持って、実によくできたシステムを形成して進化してきました。このような微生物(細菌)が、実は私たちヒトの腸内にも多数存在しています。人間の体内に住む常在菌の数は体を構成する細胞数の10倍にものぼると言われます。

 

広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記210


2013/04/04 (489 ヒット)

 我々の競合である理想科学工業の名前を一気に世間に知らしめた、記念すべきヒット商品の「プリントゴッコ」ですが、2012年12月をもってついに理想科学は35年間に及ぶこの事業を終了させました。若い人にはなじみがないでしょうが。
 年賀状印刷において一つの時代を創ったすばらしいアイデア商品でした。「プリントゴッコ」という名前は、当時の社長羽山昇が皆の反対を押し切って命名したものです。1977年9月にプリントゴッコB6は発売されました。
  家庭で誰でも手軽にカラー印刷の年賀状が作れるということから、年賀状印刷の季節になると日本全国で販売推進が進められ、購入されていきました。カーボン 筆記原稿にピカッと光るフラッシュ光を当てて、その発熱によりマスタフィルムに穿孔製版し、次にそのマスタに色とりどりのインクを載せてはがきの上に押し 当てるだけでカラー印刷ができるという優れものでした。
 1996年には累計販売台数1000万台を達成しました。しかし時代の変化は厳しいものでパソコンとカラープリンターの普及により競争力をなくして、2008年に本体の販売を終了し、このたびサプライとサービスも終了になったのです。

 

広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記209


2013/03/29 (546 ヒット)

 高校生物の教科書が大きく変わりつつあるそうです。これまで私たちは「生物1」教科書で、遺伝に関しては「メンデルの法則」つまり1865年にメンデル が発表したエンドウマメの交配実験から学習を始めたものでした。もちろん生物の教科書は、このメンデルの実験に多くのページを割いていました。しかし、も はや遺伝はDNAで説明がつく時代になりました。これまで「生物」では、教科書が学問の進歩に追いついていないとされていたのです。新しい「生物基礎」教 科書では、生物の進化についてDNAの塩基配列によるしくみの説明に力点を置いているそうです。
 2003年にヒトゲノム(全遺伝情報)が解読されました。ヒトもバクテリアもDNAを持ち、全生物はたった4種類の塩基配列によって遺伝情報が形成され、塩基配列のわずかな違いによって多様性を生み出していることが明らかになったのです。
  4種類とは「A:アデニン」「G:グアニン」「T:チミン」「C:シトシン」です。2009年に学習指導要領が「ゆとり教育」から「学力向上重視」へ改定 されて、教科書に高度な内容を盛り込むことが可能になりました。科学技術立国を担う子供たちの育成をめざして、理科教育は見直しが進められているのです。

 

広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記208


2013/03/25 (468 ヒット)

 人間の眼は、一番前側に「角膜」がありその内側には順に「虹彩」「水晶体」「硝子体(球体)」があって、硝子体を包むように「網膜」があります。人間の眼は実にすばらしい機能を有していると思いませんか?毎日お世話になっている大事なものです。

  「角膜」はレンズの働きをする透明体で、タンパク質の繊維が規則正しく並ぶことで透明になっています。「水晶体」も同様ですが、透明の細胞というのは不思 議ですね。「虹彩」はカメラの絞りの働きをして、瞳孔の大きさを変えることで眼に入る光量を調節します。「水晶体」は柔らかい第二のレンズで、その厚さを 変えることによりピントの調節を行います。「硝子体」はゼリーのようにやわらかく99%は水からなる透明体で、光を網膜まで透過させます。
「網 膜」は光を受け取り電気信号に変換します。この電気信号を脳まで送るのが「視神経」であり、100万本の神経の束です。網膜には視細胞が1億個以上並んで おり、特に中心部領域に高密度に存在しています。この高密度部では隣り合う視細胞のピッチはたった0.002mmだそうです。
 視細胞は、光に高感度のかん体細胞と色覚を担う錐体細胞からなります。

 

広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記200


2013/03/19 (479 ヒット)

 アメリカNASAのスペースシャトルは、1981年の初飛行(コロンビア号)以来30年を過ぎた2011年7月(アトランティス号の最終飛行)をもっ て、スペースシャトル計画は終了しました。30年も続いていたんですね。これまでに16カ国355人の宇宙飛行士が搭乗して、合計135回もの打ち上げが 実施されたそうです。
 スペースシャトルは3つの構造体から成っています。宇宙船本体のオービター(これが帰還します)と、中央にある大きな外部 燃料タンクと、その両脇に装着された固定燃料ロケットブースターの3つです。打ち上げ時の強力な推進力は2分間の固体燃料燃焼によって得られ、燃え尽きる と切り離されて落下します。その後は外部燃料タンク内の液体酸素と液体水素によって更に推進して、8.5分後にはこれも切り離されて落下します。つまり強 力な推進力を発揮した3つの燃料タンクは、たった10分間だけの命なのです。
 こうしてオービターは大気圏を抜けて高度約300kmで地球を周回 します。オービターはこれまでに6機が製造されました。搭乗人員は7人で荷物は最大28トンまで運搬が可能です。このオービターは、地球への帰還時には大 気圏に突入してからグライダーのように飛行して地上に着陸するので、何度も再使用が可能です。

 

広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記199


2013/03/15 (506 ヒット)

 その昔、母親になる女性は妊娠がわかると、赤ちゃん用の布おむつを木綿布を縫って一生懸命作ったものでした。私の妻も布おむつを縫いました。しかし現在 では「紙おむつ」という大変便利なものができたため、日本では99%が紙おむつを使っているそうです。紙おむつがこのように便利に使われるようになった陰 には、「高分子吸収体」の開発が大きく貢献しています。高分子吸収体は、自分の質量の50~100倍もの水分を吸収して、ゼリー状にかためてしまうことが できます。
 紙おむつはスウェーデンで最初に考えられました。それは綿花不足で材料の木綿布が手に入らなかったことによります。日本では1950年代から登場しましたが、当時は使い捨ての文化がなかったため普及しませんでした。
  1980年代になって女性の家事労働を減らすことが重要視されるようになり、1983年に紙おむつに高分子吸収体が使われるようになると、一気に広がって いきました。高分子吸収体は、デンプン系、セルロース系、ポリビニルアルコール系などいろいろな種類がありますが、現在その性能と価格で最適とされている のはポリアクリル酸ナトリウム系とされています。
 (1)浸透圧:吸い込む力(2)親和性:浸み込む力(3)架橋密度:保持する力の3つの力が重要です。高分子吸収体は、浸透圧を利用するので純水に比べて食塩水などになると吸水量は減少します。
 

 

広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記198


2013/03/12 (504 ヒット)

 2003年頃には薄型テレビといえば「液晶テレビ」と「プラズマテレビ」のそれぞれが、特徴を有して競い合っていました。比較的小型には液晶方式が、そして大画面テレビにはプラズマ方式が採用されていました。
  2005年の薄型テレビ世界シェア1位はパナソニックで、4位がサムスン電子6位がLG電子でした。パナソニックは2005年から、兵庫県に4000億円 を投じて3棟の巨大なプラズマテレビ用パネル工場を建設し、これを稼動させます。しかし2011年には2棟の工場停止を決めざるを得なくなってしまいまし た。技術の進歩によりプラズマテレビが得意とした大画面テレビが液晶に侵食され、世界出荷台数で1割以下になったのです。テレビはコモディティ化(汎用 化)が急速に進み、円高もあって日本企業は薄型テレビの国際競争力を失っていきました。2011年薄型テレビの世界シェアは、1位がサムスン電子、2位が LG電子と韓国勢が世界の37%以上を占めることになりました。
 プラズマテレビは、1992年に富士通が世界で初めて開発しました。プラズマテ レビとは電極板に挟まれたセルにネオンガスを封入し、電圧をかけることでプラズマ放電を起こし発生した紫外線が蛍光体に当たって発光するもので、各セルが RGBの3色を発光するものです。つまり多数のカラー表示蛍光灯がならんでいるようなものです。独自の特徴を有していますが価格では液晶に分があります。

 

広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記196


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