広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県)

2013/02/18 (537 ヒット)

 テレビの和風総本家で紹介された「浅草寺のチタン瓦」ですが、第2回日本ものづくり大賞経済産業大臣賞を受賞しています。チタン瓦は2007年の浅草寺 宝蔵門の屋根に採用され、2009年から2010年にかけて行われた本堂の改修工事においても、本堂屋根のふき替えにチタン瓦が採用されました。
 浅草寺は東京大空襲で焼失して、昭和33年に鉄筋コンクリート造りで再建されましたが、屋根には日本瓦(土瓦)が採用されていました。その8万9000枚の瓦が2010年からチタン製に替えられ、930トンあった屋根重量は5分の1(180トン)になったそうです。
  チタン瓦は、厚さ0.3mmのチタン板をプレス成形してから、いぶし調の表面処理を施して作られます。製造しているのは(株)カナメのルーフシステム事業 部で、工場は福島県喜多方市にあります。日本瓦の焼きムラ質感を出すために微妙に色を変えた3色のチタン瓦を不規則に並べているといいます。
 チタン瓦は軽量で耐食性に優れますが、コストは従来土瓦の3倍程になるようです。災害に強い建造物にしたいという思いがあるとのことです。

 

広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記192


2013/02/13 (594 ヒット)

 新聞印刷はかつては活版印刷方式でしたが、今ではオフセット印刷方式になっており、しかもカラー印刷ページも増えてきています。短時間での高速印刷が求 められるため、新聞印刷専用の大型輪転印刷機が使われており、国内では東京機械製作所と三菱重工印刷紙工機械が新聞印刷機の代表的メーカーです。
  例えば朝日新聞を印刷している朝日プリンテックの新聞輪転機では、1時間に18万部(1秒間に50部)を刷るため輪転機内の用紙搬送速度は時速 49km(毎秒13.6m)にも達するといいます。朝日プリンテックは、全国に11の印刷拠点を有し委託工場も含めて29拠点で分担して800万部の新聞 を印刷しています。
 輪転印刷機は高さ15m全長24mという巨大な設備です。印刷機は床下に供給された重さ1.2トンのロールから紙を真上方向に搬送しながら、その両面に同時にオフセット印刷する印刷ユニットを5基有しており、モノクロ印刷ユニットとカラー印刷ユニットとがあります。
 5基によって印刷された5本のロール紙は、それぞれ縦方向に分断されることで、同時に10本の印刷済み長尺紙ができるので、それを全部重ねながら折って裁断することで40ページの新聞が次々と完成します。

 

広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記193


2013/02/06 (542 ヒット)

 タブレット端末というのは、簡単に言えばタッチパネルと表示装置を備えたオールインワン型の携帯型情報端末コンピューターであるといえます。代表的なも のが2010年に登場したアップル社のiPadであり、世界中を驚かせました。その世界シェアは6割を超えます。iPadのライバルがグーグルのOS 「Android」を搭載した機種で、例えばサムスンのGALAXY.Tabなどです。
 一方でiPhoneのようなスマートフォン携帯電話があ ります。画面サイズで見るとiPadは9.7インチでiPhoneは3.5インチと両者の違いが明確です。最近になってこの中間に位置する7インチタブ レットが発表・発売されています。アップルが7.9インチのiPad miniを2012年11月に発売(28800円~)します。アマゾンも7インチのKindleFireキンドルファイアを12月に日本で発売 (15800円)します。一方グーグルのNexus7も7インチで発売済(19800円)です。ちなみにキンドルは、主に電子書籍用途であり初代から電子 ペーパーEink方式でしたが、7インチのファイアはカラー液晶表示です。
 一方日本勢ではNECが最軽量を誇る7インチのメディアスタブUL を、シャープが高精細画面を誇る7インチのアクオスパッドSHTを、東芝が有機ELパネル使用のレグザタブレットATを発売・発表しています。7インチは 中途半端とも言われますが、タブレット端末はこの先どうなるか注目されます。

 

広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記191


2013/02/01 (651 ヒット)

 2011年に国内で最も売れた車は、ハイブリッド車プリウスが約25万台でダントツのトップでした。ハイブリッド自動車とは、2種類以上のエネルギー貯 蔵装置(ガソリンタンクとバッテリー)と、2種類以上のエネルギー変換装置(ガソリンエンジンとモーター)を持つ自動車のことを言うそうです。
  トヨタでは「普通の車の2倍の燃費の車を作ろう」という目標から、ハイブリッド車の開発に挑戦したそうです。1997年初代プリウスの燃費は28km/l で、当時のカローラの燃費14.6km/lの2倍に近い値を実現しました。しかし実際に使ったお客様からいろいろな不満が寄せられ、2003年の2代目プ リウスでは、走りと燃費の両立を目指した改良を行い燃費は31km/lに改善しました。2代目プリウスでは、バッテリーの電圧(201V)をインバーター (コンバーター)によって500Vに昇圧することで効率を改善しました。2009年の3代目プリウスでは、電圧は650Vに昇圧しています。
 2012年のアクアでは燃費40km/lを達成しました。燃費をよくするために特に必要なことは、
(1)エンジン自体を改良する
(2)エンジンは燃費のよいところで使う
(3)エンジンを止めておく
(4)エネルギー回生を行う、の4つだそうです。
 ガソリンエンジンとモーターのトルク特性を把握して最適に使い分けするということが重要です。ちなみにプリウスの動力伝達系にはクラッチがありません。したがって例えばバックするときは必ずモーター駆動(逆転)になります。


広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記197


2013/01/28 (531 ヒット)

 NHKスペシャルで「ウォークマンはなぜiPodになれなかったのか」というのをやっていました。私は東京でソニー歴史資料館を見学してきました。そこ には偉大な創業者井深大と盛田昭夫がめざした開拓精神を感じられる多数の展示がありました。1950年に東京通信工業が日本初のテープレコーダーG型 (16万円)を開発・発売したところから歴史は始まります。井深が数日かけて書いたという設立趣意書(レプリカ)もありました。
 飛行機の中で音 楽を聞きたいから小さいカセットプレーヤーを作ってほしいという、ソニー名誉会長井深大の依頼を受けてソニーの技術者が、カセットテープレコーダーから録 音機能とスピーカーを取り除いてコンパクト化したものを作りました。これを見たソニー会長の盛田昭夫が商品にすることを決めました。こうして1979年に ソニーから発売 されたのが世界初の携帯型音楽プレーヤー「ウォークマン」です。いつでもどこでも個人で音楽を聞くことができるという新しい文化を生み出 しました。2006年まで世界累計3億7000万台が出荷されたヒット商品になったのです。音楽メデイアはカセットテープからCDへそしてMDへと変わっ ていきました。
しかし2001年にパソコンメーカーのアップルが、iPodを発売してそこから歴史は大きく変わりました。ソニーも同じことがやれたはずなのにできなかったのです。


広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記190


2013/01/21 (727 ヒット)

 紙を綴じるのに欠かせないのがホッチキスですね。これは19世紀にアメリカのホッチキスという人が発明したとされているため、日本ではホッチキスと呼んでいますが、英語では「ステープラー」と言います。日本には1903年から輸入されましたが、それらは卓上型で大きくて重いオフィス用のものでした。1952年に山田興業(現在のマックス)から発売されたのが、小型化された10号タイプホッチキスです。手のひらに収まる大きさで指先で簡単に綴じることができ、個人用文具への道を開きました。
10号タイプホッチキスは、その後改良を繰り返しながら進化してきましたが、結果的にこの針サイズはスタンダードになりました。1985年にはコピー機に組み込まれて自動で紙を綴じる装置が開発されました。1987年にはフラットクリンチタイプが開発され、裏側の針のふくらみがほとんどない方式が発売されました。
針の製造方法ですが、鉄線を数百本並べて圧力をかけて接着剤でくっつけて帯状にし、それを切断、曲げ加工して作られるそうです。針先をよく見ると片側エッジではなく中央エッジになるように切断されています。

 

広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記189


2013/01/15 (761 ヒット)

 1887年のこと、浜松尋常小学校には日本に数台しかないアメリカ製のオルガンが設置されていました。これがある日、音を発しなくなり修理してくれるところを探したのです。すると医療機器の修理工をしている山葉寅楠という男がいることがわかり、修理を依頼しました。山葉はさっそくオルガンを分解調査して原因をつきとめました。ところが山葉は修理する前に、内部構造のスケッチを始めてその構造を理解したのです。
その後山葉は、一つ一つ手作りで部品を作り、何度も試行錯誤を繰り返しながらようやく国産初のオルガンを完成させ、1888年に「山葉風琴製造所」を設立しました。これがヤマハのスタートです。1897年には「日本楽器製造株式会社」を設立し、1900年にピアノ製造を開始しました。ピアノ製造で木工技術を身につけたことから、戦時中には木製プロペラ製作を始め、プロペラの実験のためにエンジンを作るようになりました。これが1954年からのオートバイ作りになって、現在のヤマハ
発動機につながっています。
ヤマハは電子オルガンの研究を長く続けて、1959年ついにトランジスタを採用した国産電子オルガンを完成させ、これに「エレクトーン」と命名しました。1979年には小型軽量で多彩な音色を内蔵したポータブルキーボードを発売しました。他にもヤマハ音楽教室などを通して音楽教育の発展に貢献してきています。


広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記188


2013/01/10 (622 ヒット)

 ファクシミリの原理を世界で最初に考案したのはイギリスのベインで、それは電話が発明される33年も前のことです。しかしなかなか実用化はされませんでした。 ファクシミリの国産第1号誕生の裏には、日本電気の若き技術者たちの苦闘がありました。1928年昭和天皇即位に当たって行われる御大典の様子を、リアルタイムで全国に報道したいという新聞社の要請によって、国産ファクシミリは誕生しました。
日本の新聞社はまず、ドイツのシーメンス式やフランスのベラン式写真電送機を購入してこれに当たろうと考えました。ところが試験の結果全てうまくいかなかったのです。そこで試しに日本電気の丹羽と小林が開発したNE式実験機を試したところ、写真画像をきれいに送ることができたのでした。そこで日本電気では、天皇即位に間に合わせるべく開発と評価を繰り返しました。結果的には、当日の天皇陛下の写真が京都や伊勢神宮から東京や大阪に送信できたのです。
ちなみに当時のファクシミリ方式は、送信側のドラムに巻いた写真の濃淡を光学的に走査して読み取り、信号を回線に送って、受信側ではドラムに巻いた印画紙に信号に応じた光を当てて画像を感光させるというものでした。つまり銀塩写真技術を用いたアナログ方式といえます。


広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記187


2013/01/07 (697 ヒット)

山中教授のノーベル賞受賞が決まって一躍有名になったiPS細胞は、正式には人工多能性幹細胞(induced Pluripotent Stem cell)といいます。
もともと全ての細胞になれる究極の多能性(万能性)を持った細胞としては受精卵があります。人の体にある200種以上60兆個の細胞は、このたった1個の受精卵がどんどん分裂をしてできたものです。受精卵は分裂を繰り返すうちに、ある細胞は神経に、ある細胞は血液に、ある細胞は筋肉に、と大きなグループごとに分かれていきます。そして各細胞はいったん役割が決まってしまえば、いろんな細胞に変化する力はなくなってしまうのです。
ところが、皮膚の細胞にいくつかの遺伝子(4個)を放り込んだら、まるで受精卵の中にある細胞とそっくりの多能性を有する細胞ができてしまいました。これがiPS細胞です。マウスではこのiPS細胞から精子や卵子もできています。iPS細胞から神経や臓器などを作り出すことで、再生医療に大きな道が開ける可能性があるので期待されています。ところでiPSと名付けたのは山中教授ですが、先頭のiが小文字なのはiPADを真似たのだとか。

 

広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記186)


2013/01/03 (858 ヒット)

 従来のアナログテレビでは走査線数は525本でしたが、テレビがデジタル化されてその画質は大きく向上しました。現行のフルハイビジョン方式は、横方向に約2000個、縦方向に約1000個の画素(正確には1920×1080)を並べた画面で映像を表示しています。
次に話題になっているのが4Kテレビというもので、従来の4倍の解像度を持つ次世代テレビです。4Kテレビでは横方向約4000個、縦方向約2000個の画素で表示しますので4倍になります。映画館で使われる最新鋭デジタルプロジェクターと同じ画質を楽しめるといいます。
実は東芝は2011年12月に55型の4Kテレビを発売しましたが、その実勢価格は70万円と高く対応する映像ソフトが存在しないため、従来のソフトを画像処理によって高精細に変換する機能を使うしかなくあまり台数は出ていません。
ソニーと東芝が4Kテレビの84型を発売すると発表し、韓国のLG電子も売り出すと発表して市場の活性化が期待されるようになりました。大画面になるほど画像が粗くなるという現状に不満を持つユーザーの声に応えようというものです。ソニーは2012年11月に168万円で売り出すと発表、東芝も2013年春に発売すると発表しました。ただそれでも対応する映像ソフトができていないという問題が残るので、内蔵する画像処理によってデジタル処理で高精細化した画像を楽しむことになります。

広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記185)


2012/12/27 (825 ヒット)
ダイソン社が開発した「エアマルチプライヤー」は、羽根のない扇風機です。とぎれがなくより自然に近い送風ができるといいます。その特徴は羽根がないので安全安心、手入れや清掃が簡単、風量の微調整が可能などです。何よりも従来にない画期的な扇風機であることに驚きます。
下部構造内部に、ブラシレスDCモーターと羽根車(インペラー)を持ち、下部の吸気口から吸い込まれた空気が上部のリング状構造内に送られ、リング状にぐるりと取り囲んで形成された幅1.3mmの開口部から高速で吹き出すのです。この高速気流が周囲の空気と背後の空気を巻き込んで、リング内を通って前方に送り出される空気流を生み出すという原理です。リング状構造の断面は流体力学で設計されて飛行機の翼に似ています。インペラーはジェットエンジン用空気圧縮機の技術を応用しているそうです。

広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記184)


2012/12/25 (698 ヒット)

今やあらゆるものの開閉部に使われているファスナー(スライドファスナー)では、日本のYKKが世界一の市場占有を誇っています。その高品質と全世界への供給体制が認められています。しかし最近では中国製が増加しているといいます。スライドファスナーは、1891年にアメリカのジャドソンが靴ヒモを結ぶ面倒さを解消しようとして開発したとされます。ジッパーやチャックと呼ばれることもあります。
YKK創業者の吉田忠雄は1908年に富山県で生まれ、1934年にサンエス商会を設立してファスナーの加工・販売を開始しました。その当時は女工の人たちが手作業で務歯(むし)を植えつけていたのですが、吉田は1950年に日本で初めてアメリカから高速自動植え付け機を購入しました。その速度は1分間に1200個もの務歯を植え付けることができたので驚いたといいます。

吉田は自社一貫生産をものづくりの根幹とすることを決意し、各種ファスナー専用機を自社製造することにしました。そしてアルミ合金の製造から最終製品までを自社で一貫してやれるようにしたのです。アルミ建材事業へも進出してアルミサッシメーカーとしても有名です。なおYKKは株式を一切上場していません。


広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記183)


2012/12/20 (687 ヒット)

最近「シェールガス」や「シェールオイル」ということばを聞くようになっています。

前者は地下にある「頁岩(シェール)」と呼ばれる硬い泥岩の中に閉じ込められている天然ガスのことであり、後者は同じく「頁岩」の中に閉じ込められている石油のことです。

その存在は以前から知られていましたが、取り出すためのコストで採算がとれなかったのです。しかし中東オイルの価格アップと新しい採掘技術の開発によって、現実的なものになりました。

今では米国やカナダで盛んに採掘されるようになりましたが、その方法は大量の水を強い水圧で注入して岩盤に亀裂を作りガスやオイルをしみ出させるというものです。その深さは地価3000mにもなるので大変ですが、米国の採掘可能埋蔵量は332億バレルもあるといいます。米国は中東への石油依存をなくする方向で各国にシェールガスとシェールオイルの採掘技術を広げようとしています。

日本でも秋田でシェールオイルが確認されていますが、商業生産は期待できません。 日本ではむしろ海底資源としてのメタンハイドレードが期待されていますが、こちらも技術的にはまだまだの状態です。

 

広報委員 佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記181)


2012/12/20 (568 ヒット)
再生可能エネルギーとして「地熱発電」は実は大きな可能性を秘めています。地中奥深くには膨大な熱が蓄えられています。地中30~270キロの深さでは現在も約1000度の温度があると考えられています。こうした地下の高温エネルギーを使って電気を作るのが地熱発電です。深さ数キロにあるマグマだまりによって熱せられた地下水がたまっている地層まで井戸を掘り、そこから噴出してくる蒸気でタービンを回して発電します。
地熱発電の歴史は古く、1904年にはイタリアが世界で初めて発電に成功しました。日本では1925年に別府で発電をしたのが最初です。現在国内で最も大きいのは大分県の八丁原発電所で、11.2万kWの発電をしています。世界的には伸び続けている地熱発電ですが日本では伸びていません。その理由は、適地の多くが国立公園の中にあり開発ができないこと、地元には温泉の枯渇という不安があり反対があることなどが挙げられています。
しかし地熱発電は、
(1)石油やウランといった燃料がいらない
(2)太陽光や風力のように天候の影響を受けない
(3)枯れる心配もまずない
(4)二酸化炭素を発生しないので環境にやさしい、
といった特徴があり、世界的には今後も伸びるといわれます。


(広報委員佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記180)

2012/12/17 (809 ヒット)
壮麗な赤レンガの駅舎を持つ「東京駅」が誕生したのは1914年。もうすぐ100年になるのを前に、その駅舎が完全復元工事を経て創建時の姿で本日オープンします。東京駅は、「横綱が皇居に向かって大きく手を広げて土俵入りをしている姿」とも言われます。明治41年に当時の日本建築界第一人者であった辰野金吾氏が、辰野式ルネッサンスと呼ばれる設計を行いました。
レンガ積み鉄骨3階建て、さらに左右に八角形の巨大なドームを備えた、正面長さ335mの重厚感に優れた建築物でした。関東大震災には耐えたのですが、昭和20年の空襲による火災でドームと3階部分を失ったのです。しかし昭和22年に2階建て駅舎として再建されました。昭和39年には東海道新幹線が開業して東京オリンピックが開催され、平成3年には東北・上越新幹線の東京駅乗り入れが実現して、まさに中央駅になりました。創建時の姿へという復元工事は2007年にスタートして、この2012年9月に完成しました。
辰野金吾氏は、佐賀県で下級役人の子として生まれ、工部大学校(現東京大学工学部)で有名なコンドルに学び、工部大学校を主席で卒業後、英国に留学してヨーロッパの建築を学んだ日本建築界の重鎮でした。

                             (広報委員佐藤光雄(技術士:機械、宮城県) 記182)

2012/12/14 (578 ヒット)
佐藤光雄(技術士:機械、宮城県)  広報委員のご協力により、本日より1分間で読める科学・技術の話を連載いたします。
記事を読んで気になったこと、疑問に思ったこと、こんな話題等については、東北本部facebookへ。励ましのお言葉、ご自身でも投稿したい方、連絡ください。お待ちしております。

佐藤光雄

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